2014年12月31日水曜日

ブランデンブルクから1812年まで

今年の正月に、バッハのブランデンブルクを聞きたいな、と思ってかけたのをきっかけに、
朝は家にあるクラシックのCDを片端から聞いてきた。

「クラッシック」の中身は、グレゴリオ聖歌から高橋悠治まで、いろいろである。
大体、同じCDを2回聞くようにして、中には3回、4回と聞いたものもあるし、
1回でこれはもういいね、となったのもありで、大体160枚以上聞いた勘定になるが、
まだラックにはCDが残っている。

とりわけ印象深かったのは、アバド指揮、ポリーニ独奏,、ベルリン・フィルの
ベートーベンピアノ協奏曲
ライブ盤なのに、完成度が高く、何度でも聞きたい名盤だった。

我が家ではいま、ステレオを聞くのに最適の位置に夫のベッドを置いているのだが、
この第2番は、音に敏感な猫たちが夫の脚の間に陣取ってずっと聞いていたくらいだ。

CDの中には私がヴァイオリンのお手本用に購入したものもけっこうあり、
同じ曲が思いがけずあっちにもこっちにも入っていたりして、
聴き比べの楽しみもあった。

大晦日の今日巡ってきたのは、小澤征爾指揮、ベルリン・フィルの
チャイコフスキー 交響曲第5番と序曲1812年
このところヴァイオリンや室内楽が続いていたので、
しっかりしたオーケストラを聞けて気分が良かった。
「1812年」を聞きながら、「フランス人はこの曲をどう思うんだろうねえ」
などと夫と話しながら、ストレッチをしたり朝食の世話をしたり。

一昨年、昨年は、病気の進行で身体の可動範囲、呼吸の苦しさがどんどん変化し、
それに合わせて日常の動作もいろいろ工夫しなければならず、
「いつもこう」という手順が決まることはなく、数日~数週間でやり方が変わっていたが、
今年は年明けからベッド生活になったこともあり、また体調も安定していたので、
朝の時間の過ごし方も「ルーティン」と言えるようなものができ、
毎日こうして音楽を楽しむことができた1年だった。

この先どう変化していくのかは予想がつかないけれど、
なんとかまた迎えられそうな新しい年が、穏やかであって欲しいと思う、
2014年の大晦日である。

2014年12月29日月曜日

餃子忘年会

年に何回かタンゴ仲間と開いている餃子の会。

12月は初旬が忙しい人、押しつまると時間がない人、週末が仕事の人
いろいろ都合を合わせるのが難しく、結局28日に人数少なめで忘年会を開いた。
当日横浜でミロンガを開いていたとしゆきさんにも声をかけておいたところ、
最近としゆきさんにダンスを習い始めたオルケスタYOKOHAMAのメンバーも
急遽参加してくれたので、初顔合わせ同士の方もあり、賑やかな会になった。

今回はいつもの餃子包み隊が欠席だったので、早く来た人で餃子を包む。
Rueda de Tango の二人が今年始めた菜園で収穫した野菜を
餃子の餡に入れてくれたので、しっかりした味の餃子ができた。




  


他には、野菜マリネ、スペアリブと大根の煮込みを作り
お持たせの焼売、生活クラブの中華ちまきなど、美味しく頂いた。




食事とおしゃべりをひとしきり楽しんだあとは、
Kさんのスペイン北部~ポルトガル旅行のプレゼンを見る。
美味しそうな料理、美しい景色、すてきなホテルの部屋に皆が感嘆の声を上げる中、
「この線路は高速なんだ」「この車両は○○系だ」
と一味違うコメントを連発する人、約1名。。。


デザートは、Tさんがロンドン出張でゲットしてきた現地直送クリスマス・プディング。

 

濃厚なフルーツケーキをギュッと固めたようなもの。
「電子レンジで温めてブランデーをかけて火をつける」
という指示に則り、随分以前に買ったままにしていた製菓用のブランデーを取り出してやってみた。


私は点火していたので、撮影はTちゃん。
このあと周囲に落ちたブランデーの上を、青い炎がぐるぐる回って、
クリスマスにふさわしい、ミステリアスな感じだった。

日曜日で終バスが早かったため、あまりゆっくりしてもらえなかったけど、
出かけていけない私たちのために、決して便利なところではない我が家まで来て
楽しい時間をプレゼントしてくれる餃子の仲間たちに感謝である。

これに懲りずにまた来てね。

2014年12月11日木曜日

Midsummer Night's Tango 白夜のタンゴ



Yesterday, I went to see a movie for ther first time in a long while.
http://documentaryedge.org.nz/2014/wgtn/film/midsummer-nights-tango

It's a documentary film about 3 Argentinian tango musicians traveling Finland to check out the notion that tango music was born not in their own country but in Finland.
I thoroughly enjoyed it for several reasons.
It was a good example of intercultural communication experience which is my expertise.
It featured scenes that stimulated my interests as singer, musician and dancer.
Music was nice---both Finnish and Argentinian.
If you are tango lover solely in the sense of listening to the music or dancing at milongas, this film may not be so interesting.  Come to think of it, it was perfect for a person like me.

My favorite part was early in the film where they presented what tango in Argentina is like.
They didn't use the stereotype scenes of tango shows or milongas or Caminito.
Sure, the essence of tango is not in the appearance.

昨日久しぶりに映画館に行った。
夫が病気になってからは本当に時間がなくて、
あったとしても、たいていの上映時間は都合が悪くて、もう無理だとと思っていた。

ドイツ、アルゼンチン、フィンランド合作の「白夜のタンゴ」
奇跡的に私が行かれる時間の上映の日があったので行ってきた。

「タンゴはフィンランドで生まれたんだよ」という説を確かめに
3人のアルゼンチンのミュージシャンがフィンランドにやってきて。。。
というロードムービー的ドキュメンタリー。

アルゼンチン・タンゴの音楽を聴くだけの趣味の人や
ドレスに着替えてミロンガに行くのがタンゴだと思ってる人には
ピンと来ない映画かもしれないけど、
私にとっては、これまで見たタンゴの映画の中で
もしかすると一番面白かったかもしれない。

というのも、比較文化学や異文化間コミュニケーションという
私自身の専門の目から見て、アルゼンチンとフィンランドの人たちの交流や
それぞれの文化におけるタンゴのあり方がとても興味深かったし、
私も少しは楽器を弾くので、ミュージシャンのやりとりやセッションは
文句なしに面白いし、歌もやっていたから、歌のレッスンや、
歌手の人の話も示唆に富んでいた。
そして、私もタンゴを踊るから、ダンスの面でのタンゴのシーンもまた楽しめた。

要するに、「よくわからないなあ」というところがなくて、
楽曲はみんな美しいし、いい時間を過ごさせてもらった気がした。

友人に「タンゴを知らないと面白くない映画かしら?」
と聞かれて、「音楽が好きなら十分楽しいと思うよ」と答えたのだが、
もう少しよく考えてみると、やはり異文化の出会いの部分が面白かったと思うので、
「文化とその中での音楽の存在と役割について興味のある人に面白い映画だ」
というほうがあたっているかもしれない。

夫と一緒に見られれば、さらに何倍も楽しかっただろうと思うけれど、
見ることができてよかった、と思える映画だった。

2014年12月8日月曜日

郵便投票

久々の更新。

うかうかしているうちに、師走。
そして、衆議院選挙である。

夫のように障害者だったり要介護度が高く外出できない人には
郵便投票という制度がある。

ALSの人でもこの制度を知らない人がいるみたいなのだが、
うちの場合は確か、区役所の人に窓口で教えてもらった。
前回総選挙になったときで、あの時も急に解散したからあまり時間がなかったけど、
選管の人ががんばって「郵便等投票証明書」をスピード発行してくれたので、
無事に郵便で投票することができた。

この「郵便等投票証明書」を持っている人は、選挙の都度、
投票用紙の申請書とこの証明書を同封して選管に送ると、
選管から投票用紙と返信用の封筒が送られてくるので、
用紙に記載して指定の二重封筒に入れ、外封筒に住所氏名を書いて、返送する。

投票用紙と外の氏名は自筆と決められていて、
それができない人は代理記載を認めてもらって行うことができる。
(上のリンクの下の方に詳しい説明アリ)

夫の場合、去年の参院選の段階で、一人でペンを持つのは難しかったので
この制度を使おうとしたのだけど、夫はいま「四肢1級」という障害で、
代理記載に該当するには「上肢1級」でなければならず、
障害の等級見直しの手続きは選管のようにスピード感がないので(通常1~2ヶ月)、
到底間に合わなかった。

次の選挙は2015年の統一地方選だから、それまで生きてたら手続きしようね、
と言い、そろそろ動こうか、と思っていたらこたびの解散である。

そもそも、「四肢」に「上肢」が含まれないのは日本語として変じゃないのか、
とか、ツッコミどころはいろいろあるのだが、法律をどうこういっても仕方がない。

当地の頑張る選管が、公示日前に申請書を送ってくれたので、
すぐに証明書とともに返送。
一昨日、投票用紙、候補者名簿、政党名簿一式が届いたので、今日記入して投函した。

ひと仕事終わってホッとする。

あとは、自分が投票に行くのを忘れないようにしないとね。





2014年11月5日水曜日

ぎんぶら

ヴァイオリンの弦や楽譜、来年のカレンダーを買いに、銀座へ。

久しぶりに東海道線に乗ったら、品川駅のホームの様子が変わっているし、
新橋駅も階段が付け変わってるし、世の中どんどん変化しているんだな。

まずどこかで腹ごしらえ、と思いつつ新橋から銀座通りに向かう。
銀座天國は美味しいけど、揚げ物は避けてるし、お値段も、
と思って通りすぎかけたら

「お昼天丼1,100円」

が目に入る。もう15時半だけど、まだやってるんだ。
この時間、ほかの店では美味しいものにはありつけないかも。。。
で、Uターン!



メニューには銀ブラにふさわしい、こういうのもあったけど



きょうはやめておく。

さて、目当ての音楽ショップに向かって歩き出すと
周りから聞こえてくるのは中国語ばかり。
次々と到着する観光バスから吐き出される中国人観光客が
大きなスーツケースをガラガラ引きずりながら
四方八方をスマホで撮影しながら
大声でああだこうだとしゃべりながら
あの広い銀座の歩道を占拠。
先日友人から聞かされてはいたけれど、これほどまでとは。

すっかり買い物気分が萎え、必要な買い物だけするモードになってしまった。

それでも1軒目のショップは静かだったこともあり、
久しぶりに楽譜をあれこれめくって小一時間過ごし、
銀座の華やかな雰囲気と、それとちぐはぐな観光客に気圧されながらもう1軒へ。






ここでしか扱っていない弦と来年の音楽カレンダーをゲット。
ここ数年、この雨田のカレンダーを買うのに出遅れていたので
今年は早く買えて満足。













そのまま有楽町から帰る手もあったけど、それだとまた乗り換えで歩くし、
まだ時間もあるから、美味しそうなコーヒーショップを探しつつ
また新橋方面に戻る。
郵便を出さなければいけなかったので、ポストを探すが見つからない。

と、あれ、今通り過ぎたのはポスト?



そうだった。。。なんでこんな色なんだ。。。
夜目に見たので紺色だと思ったら、
あとで調べたところ、これは「景観に配慮した緑色」
だそうだ。

夜の女性たちが着物姿、ドレス姿で出勤してくるのを横目に
観光客が入ってこなさそうなコーヒーショップで休憩。

 


きょうは普段避けているものを食べてしまったから
帰ったら野菜を補給しないと。

2014年10月14日火曜日

Goodbye, Mom. 母を送る

My mother passed away last week.
She had a bad stroke (subarachnoid hemorrhage) 20 years ago, lost speech and became mostly bedridden.  She lived at home until early September when she developed pneumonia.  She was taken to hospital where she died.  I could not come to see her off, but I was ready for that ever since my husband was diagnosed with ALS.
I wasn't even sad at the news of my mother's death.  Rather, I was relieved that my mother is finally free from all her difficulties.  Still, I had some unsettling feeling in my heart that I could not put a name on. 
When I came home from her vigil (I could not attend the funeral.) and was making bed for myself, I felt tears suddenly welling up.  The fact that my mother no longer existed in this world struck me, and made me cry.  I learned that it was her absence, or my sense of loss, was that strange feeling wobbling in my heart.  After some crying, it was gone, and I felt I could go on, looking straight ahead.

It seems to me that children or grandchildren are the best visible legacy of someone's life. I look very much like my mother, so it's obvious that I'm the testimony that she lived.
But my wish would be to be her positive legacy not only for my appearance but for who I am.

Thanks and Goodbye, Mom.


先週、実家の母が逝った。
母は、20年前クモ膜下出血で倒れ術後の処置が悪くて、結局半身不随となり言葉を失った。様々な問題はそれなりに経験しながらも、なんとか穏やかにくらしてきたのだが、九月の初め 誤嚥性肺炎を起こして入院し、一旦は良くなりかけたものの完治せずそのまま病院で亡くなった。

妹から「危ない」と連絡があった時は夫の訪問入浴真っ最中で、その後も誰も来ない日だったので、看取ることはできなかったが、私以外の家族が揃うのを待って旅立ったそうだ。

夫が病気になってからはこちらの生活で精一杯で、実家からも足が遠のき、この1年ほどは全く行かれていなかったのだが、7月末にやっと久しぶりに訪ねて私の作った料理を母にも食べてもらったところだった。入院してからも数回は顔を見に行けたし、そもそも夫が病気になってからは、親に何かあっても行けないだろうと思い、訪ねる度に「これが最後かも」と思いながら「またね」と言ってきたので、立ち会えなかったことについてどうこうとも思うこともなく、20年続いた不自由な状態から母が解放されたことには、むしろ安堵の思いがあった。

それでも、「悲しさ」でも「寂しさ」でもない、何とも言いようのない胸のつかえと言うか、もやもやした思いがあって、それが何か見極められずにいた。そういう気持ちの整理をするのが、葬儀のプロセスなのだろうと思うが、日程の都合で、私は通夜だけの出席になった。クリスチャンになったとはいえ、子どもの頃から法事などの機会に繰り返し聞いてきたせいか、「修證義~」と方丈さんが言った途端に「生を明らめ死を明らむるは佛家一大事の因縁なり・・・」と出だしのフレーズが頭に浮かんだのにびっくりしたり、久しぶりに見る親戚の名前を思い出そうとしたりしているうちに通夜は終わり、姉、妹と棺を囲んで寸時話し、母に別れを告げた。

就寝前、ベッドメイクをしているとき、不意に涙がこぼれた。
もう母はいないという事実、それを寂しく思う気持ちというより、「不在」そのものが迫って来る感じで涙が止まらなかった。そうだったのだ。ずっともやもやしていたのは、「喪失感」というやつだったのだ。そのまま暫く一人で泣いた。そして涙が収まった時には、胸のもやもやは落ち着きどころを見つけていた。

人がこの世に生きた、目に見える証は子や孫の姿だと思う。
私は、顔が母にそっくりなのでそのまま母の生きた証なのだが、
中身でも母の良き遺産でありたいと思うのだ。




2014年9月30日火曜日

ファンダンゴスがやってきた!

福岡を本拠地とするトリオ・ロス・ファンダンゴス(Trio Los Fandangos)が、先週から5日間の関東ツアーに来ていた。この人たち、別名「嵐を呼ぶバンド」である。ツアーの先々に度々台風などの荒天を連れてきたことがある。一度などは、台風と仲良くしすぎて自分たちの公演がキャンセルになってしまった。

今回も台風16号が、まるでTLFに合わせるかのように中国の方を回ってゆるゆると近づいていた

     


が、26日に甲府で共演したミユキ・タンゴのリーダーのパワーの方が優ったのか、台風は温帯低気圧となり、穏やかな好天の中でのツアーとなった。

5日間で8ステージという強行軍の中、最終日の29日横浜エアジンでのステージの前に我が家に立ち寄り、ライブに出かけることができない夫のためにホームコンサートをしてくれた。

     
     夫は身体は動かせないけれど、音楽も会話も楽しんで普通に暮らしているので、
      こんなふうに、「出てこられないならこっちが行くよ」と訪ねてきてくれる友人は歓迎だ。
      夫が病気になって間もない頃は、「ALS患者ってどんなもんだろう」という好奇心からか
      たいして親しくもなかった人が見舞いに来たり、「一度くらい見舞いに行かなければ」
      という義理から来宅したがる人があって閉口したものだ。

ミ・ブリンの冬ポンがエレピを貸して下さり、午後メンバーとともに車で運んできてくれた。
谷本さんはこの1年半ほどの間に3回来宅しているけれど、なおこさん、ケイトさんとは
前回の関東ツアー以来2年ぶり?
Facebookなどで近況を交換しているので、久しぶりという気がしない。
お約束の博多通りもんを頂く。
    
いつも夫とブエノスのタンゴラジオ番組を聞いて、スペイン語を訳してくれているY子さんも招き、
一緒にお昼を食べ、タンゴの話、なおこさんのお子さんたちの話、谷本家の猫の話など、
おしゃべりを楽しんだあと、いよいよ演奏。
ときどき「記憶スケッチ」状態になりながらも、みっちり充実した生音を8曲聞かせてくれた。

もしかすると、PAなし生音のTLFを聞くのは初めてだったかも知れない。
そしてこの至近距離。ぐんぐん音の力が身体の中に入って来る。
TLFは踊らせる演奏を本分としているのだが、それはすなわち「拍動を共有させる」ということではないか、と感じた。彼らの演奏を聞いたら、それに乗らざるを得ない。普段CD音源の踊り場で音と関係なく習ったステップを次々に繰り出して踊っている「つもり」になっている多くの御仁たちでも、この音を聞いたらちゃんと「踊る」のではないだろうか。(最近踊りに行けてないので確かめられない。。。)


楽しい時間はあっという間に過ぎ、メンバーは冬ポンの車でエアジンへ。
谷本さん、なおこさん、ケイトさん、冬ポン、特別な時間をありがとう!
私は後片付けをしてから開演時間に合わせて会場へ。
ボス・うめもとさんが、お弟子さんのフランス土産のおすそわけを下さる。

  

なぜかといえば、うめもとさんがFBにアップする美味しそうな頂き物の数々に
いつも私が恨めしそうなコメントを付けているから、哀れに感じてくれたのだ、たぶん。

エアジンは、私たちが最初にTLFを聞いた場所。その時夫が小型の録音機で取った音源が、
TLF3のCDのラストカットに使われ、その後私たちが福岡に彼らを聞きに行き、
と親しくなっていったのだった。

    ダンスの師匠のケンジ&リリアナさんに出会ったのも、同じエアジンでのライブで
     ブエノスで会ったダンサーやミュージシャンたちに共通するタンゴの心が
     ふたりにはある、と直感して、その後師と仰ぐことになったのだった。

エアジンのステージ、前半は歌手のKaZZmaによるギター弾き語り。
 
   
 
KaZZmaの歌は「ブエノスアイレスのマリア」でしか聞いたことがなかったので
楽しみにしていた。 歌はもちろん、ギターのボルドーナ感もよかった。
谷本さんのヴァイオリンも2曲絡んで、全部で10曲、熱唱。


後半はいよいよTLF。  
 
「3人で15人分」の触れ込みどおり、始めからガンガン来る。
エアジンのお客様、おそらくTLFが初めての方が半分ぐらいいらしたのではないだろうか。
その方たちがどんどん巻き込まれていくのが、最前列に座った私の背中に伝わってくる。
TLFは前回のブエノス行きで掴んだものを今春CD5にまとめており、
それは聞いていたのだが、目の前で演奏する様子を見ると、
身体の使い方が大きく変化しているのがわかる。
やはり3人とも踊るようになったからなのだろう。
だからこそ生まれる、踊り手、聞き手との一体感なのだと思う。
音楽は全身全霊で奏でるものだと、改めて思わされる。
我が家では「記憶スケッチ」だったVida Mia は譜面を出して(笑)ばっちり。
アンコールでは、KaZZmaと一緒に2曲、
そして最後に、私たちとの思い出のDerecho Viejoを演奏してくれた。

重箱にぎっちりつまった押し寿司のようなしっかりした演奏に
たくさんの元気をもらって、帰路に着いた。
TLF、KaZZma ありがとう!
 











2014年9月6日土曜日

paperwork, paperwork 更新手続き

ALS is one of the specified diseases in Japan, which means its patients are eligible for state subsidy to cover their medical costs.  You have to be officially recognized as a patient to receive subsidy, of course, and it involves a lot of paperwork.

Renewing the certificate has been rather simple--- as far as I can tell from my limited experience of the past couple of years--- but this time, it's a bit different, because the entire subsidy system has been changed.  The government decided to include more hard-to-cure diseases under its subsidy, while asking patients to pay part of their costs, rather than getting all the necessary medical service for free. 

The new system takes effect next January, and we are required to submit the renewal documents by Oct. 10.  But, because the state government is slow in finalizing the details of the system, local governments that actually handle the process, are unable to provide some necessary information such as what kind of document needs to be submitted when the patient is on respirator.  We are also required to submit copies of various documents and certificates.

I was hoping to prepare most of the stuff over this weekend, but it seems that I have to wait for some of the necessary documents to come.

Oh, well.


ALSは、いわゆる特定疾患、すなわち国の難病指定を請けている病気で、患者の医療費には国の助成がある。診断を受けたら、「特定疾患医療受給者証」というものを申請し、以後更新手続きをとる。

先に報道されたように、来年1月からこの特定疾患医療給付制度が変更になり、より多くの疾患を対象とする一方、これまで全額給付だった患者に一部負担を求めることになる。この変更のため、今回の更新手続きは、添付する書類の数が増え、記入する書類も増えて、いささか煩雑だ。
  
 
さらに、「事前に送付しているため、今回の封筒には入っておりません!」とされている書類がうちには届いていなかったので、電話したり(なかなかつながらなかったり)というトラブルもあった。

締め切りは10月10日だが、書類記入は間違ったりするといけないので、時間にゆとりのあるときにやりたいと思って、この週末ある程度めどをつけようと開いては見たものの、医師に書いてもらう書類に書かれているのと同じように、とか、住民票のとおりに、とか指示があって、そのどちらも今手元にないから書けない、とか、利用している医療機関のリストについても、その証明となる領収書のコピーなどを付けてそれに合わせて記入しなければならないのだが、普段支払いのないところからは領収書ももらっていないので、それも別の書類が届くのを待たねばならず、結局きょうはたいしてはかどらなかった。

病気の診断を受けた当初は、特定疾患のほか、介護保険やら、障害者認定やら、保険やら、書類仕事がものすごくたくさんあったので、逆にどんどん処理できたのだけど、このところはほとんどなかったから感じを忘れてしまっていたこともあり、今回はちょっと大変だなあ、と思っているところ。

2014年8月19日火曜日

結石騒動

先週、夫が尿道カテーテルにちょっと違和感がある、と言っていて、
尿量もやや少なくなっていたので気にしていた。
金曜日、朝のストレッチをしていると、脚を内側に寄せたりすると痛い、という。
姿勢を変えて痛い、というのはどういうことだろうと思いながら、痛くない姿勢をとるようにしていた。

日曜の朝、カテーテルチューブ内に血尿があり、パッドに脇漏れもしたようだ、
というので見てみると、かなりの血尿。やはりどこかに傷があるのか。
チューブの位置を探って触れていたら、するっとチューブが抜けてしまった。

本来このカテーテルは、先に風船のように膨らむ「バルン」というのがついていて、
その中に数cc水を入れて抜けないようにしているのだが、
なんらかの理由でこの水がぬけてバルンがしぼんでしまったため、抜けてしまったようだ。

とりあえずパッドで対応することにして、ここまでの状態を主治医にメールで報告。
朝食の準備にとりかかろうかと思ったら、また排尿があったというのでパッドをチェックすると、
パッドの上にこんなものが。

  

???

キャットフードのカリカリ?いや、こんなところにあるわけはない。
え、何これ?

触れてみると硬い。
もしかして、これが結石というやつか!

測ってみると直径7mmくらいあるではないか。
これではカテーテルが入っている状態ではどこからも出るわけがないから、
カテーテルが抜けたことで石も出て、ひどい痛みを起こしたりすることもなく済んだ、
ということのようだ。

石ができて、カテーテルが押されて破損したのか、
カテーテルが破損して位置が動いてしまったために、石がへんな場所に入って育ってしまったのかわからないけれど、とにかく体への負担はかなり少なく解決できたようでよかった。


ALSで身体が動かせない状態というのは、動けないことそのものの不自由もあるのだが、
それに伴ってさまざまな身体のトラブルが起きてくるということでもある。

結石も、立って動いていれば小さいうちに流れてしまうものが、
ずっと横になっているために大きくなってしまうと思われる。

実際、夫も仕事に行かなくなってひと月くらいたったころに、
夜中にひどい腹痛を起こし、救急車で病院に行ったことがある。
その時は、石は見つからず、結局結石だったのか憩室炎だったのかわからなかったのだが、
それ以降、尿道カテーテルを使うようになったのだった。

カテーテルを留置していると、それそれで今度は感染の心配があったり、
それに対応する抗生物質をあれこれ試したりと、これまでもいろいろあった。

今年に入ってからはほとんど問題なく過ごせていたので、
今回の結石にはちょっとびっくりだった。

2014年8月3日日曜日

真夏の障子張り

親の家に住んでいたころは、障子張りは私の仕事だった。
小学生のころははがして枠を洗うところまで、紙は母が張っていたが、
中学くらいからは見て覚えたやり方で、一人で全部やっていた。

思い返せば、はがすタイミングも自分の好きなときにやって、母が夜遅く張る羽目になったり、
糊を煮ていてなべを焦がしたりしたこともあったけれど、
母にそれで小言を言われたことはなかった気がする。

今の家には和室は一間。ベランダ側の大きな窓2枚と、裏に面した腰高窓2枚だから、
大したことはない。手順も慣れているから、やろうと思えばすぐなのだけれど、
夫の病気のこともあり、時間がなく、おととし、去年と、年末の張替えはできなかった。

そうこうしている内に、腰高窓の一マスがぺらぺらと浮いてきて、
いよいよまずいことになってきたので、いよいよ張り替えることにして障子紙と糊を買ってきた。

梅雨明け前の涼しいうちにさっさとやっておけばよかったのだが、
なかなか時間が取れないままに先週になり、
金曜日に決行することに決めた。

朝起きると、猛暑。
和室にエアコンはない。張った障子に汗が落ちては元も子もない。
さらに、リビングから運び込んだテーブルやら、夫が使っていた風呂用の椅子やら、
所狭しと物が置かれていて、張り替えるスペースも、厳しい。

やめようか、と、一瞬思ったけれど、
腰高窓だけ何とかやってみることにした。

二階の踊り場に新聞紙を敷き、はがし始めて気づいた。
そうだ、昔どおりに一段ずつ張り替える方式にすれば、
立て掛けるスペースがあれば張れるのだった。
しかし、既に一枚ものの紙を買ってあるし、何と言っても手間が少なくて楽だ。
これでいくしかない。

和室に置かれたものを寄せて、なんとか枠を寝かせるスペースを作って作業。
テープで紙を仮止めしてから糊を置き、一気に張る。
2枚目のとき、張る段になって仮止めのふちを引っ掛けてしまい、やり直しになったけれど、
なんとか完成。

結構手際よくできたので、勢いで大きいほうもやろうかと思ったけれど、
この暑さの中無理は禁物。もう少し涼しい日に送ることにして、
ぺらぺらが解消されたことでよしとした。

以前うっかり閉じ込めた静の爪あとがついたほうは、いつやろうかな。。。





2014年7月25日金曜日

ひっっっっさしぶりのミロンガ

家庭の事情でなかなかミロンガの時間帯に外出することが難しい今日この頃。
タンゴのレッスンにしても、5月にアナリア&マルセロのクラスに出て以来、
ケンリリ師匠のレッスンにも行けていない。

家ではよくタンゴがかかっているので、時々静を捕まえて踊ったりして気を紛らわしている。
(え、猫とどうやって踊るかって、それはひ・み・つ (^_-)-☆)

今週はじめ、今日の午後地元でミロンガがある、とFBで告知があった。
今年のアジア大会ステージ部門で優勝し、まもなくブエノスでの世界大会に参加する
マルティン&ユカの壮行を兼ねたミロンガが14時~18時、関内で。

金曜日の午後は19時ごろまでナースやらヘルパーやら療養マッサージやら来るので
夫が一人になる心配がない。

やった~!ミロンガに行ける!

去年の夏、1回くらいはミロンガに行けるだろうとユ○クロで買ったものの
結局出番がなかったワンピースをバッグに入れて、猛暑の中出かけていった。

平日の午後、しかもこんな暑い日にどんな酔狂な人が踊りに来ているかと思ったけど、
以前、このお店が別な場所にあったとき毎週土曜日に開かれていたミロンガや、
他の横浜のミロンガの常連さんたちと、久しぶりに会うことができた。

ずっと踊っていなかったけど、立つこと、歩くことは日ごろ気をつけていたし、
もちろん音楽は毎日聞いているから、「久しぶり」という感じもなく、
普通に踊りを楽しむことができた。(*^^)v
静との練習の成果か、以前はいまひとつリズムに乗り切れなかったミロンガが
とても楽しく踊れたので嬉しかった。

マルティン&ユカのデモも気合が入っていて、世界大会への盛り上がりが感じられた。
この暑い日本から冬のブエノスに行くのは大変だけど、
体調に気をつけて、のびのびと実力を発揮して欲しいものだ。
(あ~いっしょに写真とればよかった)

終わって外に出ると、なんだかなじみのある空気感。
ああ、そうだ、かつてのドヨービ・ミロンガの帰り、この道を通っていたんだ。
夏の夕方の、こんな光の中で。

と、私の気分と周りの雰囲気に微妙なずれがあることに気づく。

そっか、きょうは金曜日だったんだね。(^^ゞ
皆さんお勤め、お疲れ様。

2014年7月12日土曜日

Watching out for cholesterol コレステロール注意報

It's been a while since my doctor first pointed out that my cholesterol figures are on the high end.I've been avoiding fried food, cream, butter eggs, while trying to eat more fish and soy bean ptoducts.I even began taking some suppliments made with fish oil to enhance EPA and DHA.

Generally, it worked, and my numbers went back and forth across the border line.But last month's figures turned out to be the worst ever. 

I know why. 
We had a birthday party.  Then, there was antoher friend who came over with some cake, even though I had been publicizing that I stopped eating cakes.  There was also a free birthday desert at Denny's which turned out to be 3-layer pancakes. 
I didn't expect to get a blood test at the end of the month. 

Even though the reasons for the high figures were obvious, the doctor said the numbers have always been on the high side, which is not a good idea at my age.
So, I started taking medication to reduce cholesterol absorption.  When there are various opinions about cholesterol levels, I'm not too excited about it.  If the medication allows me to eat anything, that would be nice, but that isn't the case.  Will see how this works.

コレステロール値が高い、と最初に言われたのはいつだったか。
以来、揚げ物や卵、クリームの類は避け、青魚や大豆製品を増やし、
EPA&DHAのサプリも摂ったりして、上限値をはさんで行ったり来たりを繰り返していたのだが、先月の血液検査で数値が今までで一番高くなってしまった。

理由ははっきりしている。誕生会があったり、別の日に来た友人がケーキを持ってきたり、
行きつけのファミレスでバースデーデザートがただでもらえて、
これまではチーズケーキにちょっと飾りがついてるくらいだったのに
今年はなぜかパンケーキだったり。

その直後に「血液検査」と言われる予定ではなかったのだ。ちっ

とはいえ、平常範囲内に収まるときでも、かなり高い数値であったことは事実で、
この歳で高いレベルを維持するのはよくない、ということで、
コレステロールを下げる薬、と言うのを処方された。

コレステロールに関しては、さまざまな意見があり、
どこまでが許容範囲なのか、個人差はどこまでみるべきなのか、
まだよくわからないので、あまり薬には頼りたくない。
今数値が上がっているのも、この2年、時間のやりくりが難しくなって
運動不足になっていることも背景にあると思うし。

薬を飲んでいれば何でも食べていい、というならいいけど、
そうでもないのが残念だ。

2014年6月28日土曜日

胃ろう問題

たまにはALSネタを。

ALSという病気は、筋肉が衰えていく病気で、早い段階で嚥下困難になるケースもあれば、
呼吸筋が衰えることで食事をするのが難しくなることもあり、胃ろうを造るのが普通である。

夫も、2012年3月の診断の時点で呼吸が平常値の60パーセント余りと落ちていたので、
6月には入院して胃ろうを造った。
すべての食事を一気に胃ろうからの経管栄養剤に替えたわけではなく、
食べられるときは口から食べて、時間がないときや疲れたときは胃ろうで、というかたちで
回数が上下しながら、今は、朝、昼と、夜私がいないときは経管栄養、
夜いるときは、少しだけおいしいものを時間をかけて食べた後、栄養剤にしている。

胃ろうには、バンパー型という樹脂のストッパーを使用していて交換が半年に1回でよいものと、
バルーン型といって小さな風船に水を入れてストッパーにする形で4~6週で交換するものがある。
バンパー型は病院で交換しなければならず、バルーン型は訪問診療で交換できる。

夫は最初はバンパー型にしたが、次の交換に病院に来ることは困難と考え、
半年後の交換時にバルーン型にして、その後は訪問診療で毎月交換してきた。

今年の4月になって訪問医から、バルーン型の誤挿入による重大事故の報告があり、
内視鏡による確認が推奨されたが、自分のクリニックではその体制がないので、
次からは入院してバンパー型に替えて欲しい、と話があった。

そして5月になってメールで提示された選択肢は
胃瘻を半年1回の交換で済むバンパー型のタイプにして、半年1回病院で 
1)日帰りでの交換、 
2)1泊2日の入院での交換、 
3)数日間の検査を兼ねた入院での交換、
4)レスパイト入院と組み合わせた入院
というものだった。

私たちは、今の訪問医が担当になったときに、
訪問医、訪問看護、介護のスタッフが集まってミーティングをして、
夫の看護、介護についての基本方針を確認しているのだが、
そのときに「いかなる入院も望まない」という話もしていた。

それなのに、こちらの希望などお構いなしに、
市の診療所のネットワークの提案を、そのままただ提示してきたことに大層がっかりした。

この訪問医は夫が在宅になって二人目なのだが、
一人目の医師は夫に
「あなたは自分がどうしたいか遠慮せずに言えばいい。それをみんなが実現するから」
と最初に宣言し、基本姿勢がはっきりした人だったのだが、
あとで聞いた話では、その医師はポータブル内視鏡を購入し、
今までどおり在宅でバルーン型の交換ができるようにしたとのこと。

今の訪問医にその気がないからと言って、
上の提案を「はい、そうですか」と受け入れるわけにはいかない。
私たちの意向を尊重して欲しい旨を改めて伝え、何度かプッシュして
内視鏡を使える別のドクターが、胃ろうの交換のみ担当で来てくれる事になった。

フタを開けてみれば、その医師は訪問診療に力を入れたクリニックの経験が長く、
標榜している専門は呼吸器と内分泌系なのだが、胃ろうについても指導する立場にあり、
詳しい情報を持っていて説明もとてもわかりやすい人だった。
うちに来てくれている介護ヘルパーさんたちは、他のALS患者の仕事もしているのだが、
ヘルパーさんによれば、彼女たちが担当している患者さんたちは
みんなこのドクターにかかっている、とのこと。

うちでお世話になるのは胃ろう関連のみだが、
ALSのこともわかる医師が結果的に二人つくことになり、なんだかよかった。
今月半ば、第一回の交換も順調に終わり、結果オーライ。

うちはそれでよかったのだけど、他の人はどうだろう。
先に訪問医の示した杓子定規な提案について、他の患者さんはどうしたのか聞いてみたら、
8割がたそれに従った、という。
胃ろうをしていても体力があって外出もしている人もいるのだろうけど、
そうではない寝たきりの人が、医師に反論できずに従って、
担架で運び出して入院して、痛みを伴うバンパー型の交換を強いられているとしたら
ずいぶんかわいそうなことだと思う。


2014年6月15日日曜日

Celebrating birthday with friends 誕生会

Some of our tango friends came over on Saturday for a birthday party.
My birthday was last Sunday, but the Tango Dance Asian Championships were going on last weekend, and, also, we were celebrating another lady's birthday, which was last Wednesday.
So,  yesterday was more appropriate, anyway.

I don't remember how was the custom in the States, but in Spanish speaking culture, it's customary for the person who's having birthday to treat his or her guests.  We followed this cusom, and two of us treated other guests.

This group of friends love to travel, and they always come with photos from their recent trip.
This time, a couple reported on their bicycle trip around Shikoku,
and another showed us beautiful shots from Jordan.

I have to say the most impressive was the photos of stars taken in the desert.
I guess it's worthwhile to travel all the miles only to see that view.


昨日の土曜日はタンゴの友人たちが来宅して、
ともに先週誕生日だった私とTちゃんの誕生会をした。

いつもは餃子の会をする私たち。
今回は、いつも念のためにと買ってある冷凍餃子を食べることにし、
 

 

私は焼売を作ってみた。
 (焼売って蒸すのになんで「焼」? そして写真は撮ってない(>_<))

スペイン語圏では、誕生日を迎える人がお客さんをもてなすのが習慣らしいので、
それにならって私とTちゃんで食べ物を用意。
Tちゃんはパエリアを作ってくれた。

  
 
 
そして〆は鹿児島のいとこが送ってくれた白くまたち。
 
  


このグループ、旅好きが多く、いつも誰かが最近の旅の報告をしてくれる。

今回も四国自転車旅とヨルダン周遊の旅の報告があった。
それぞれパソコン、デジカメをテレビにつないで、
写真や動画を大画面に写してみんなで見ながら話を聞けて、とても楽しかった。

私の子どものころは、こういうときは部屋を暗くして8ミリとかスライドとか上映したもの。
便利な時代になった。

夫の病気で旅行に行くことができない私たちには、
旅の思い出話がなによりのお土産だ。

四国のカルストやら青島の猫たち、砂漠の夜の満点の星も印象的だったけど、
一番ウケたのは、死海の水着写真の途中で画面に

 表示できない画像です

と出たときだった。X-ratedか?と誰もが思って大笑いだった。
(真相はたぶん、「動画だったから」)


楽しい時間をありがとう。また来てね。

2014年6月9日月曜日

静の受難


みなさん、こんばんは。
FBに投稿していいね!してもらうのが好きな静です。

きょう、あ、もう昨日ね、
びっくりすることがあったのでお話しします。

昨日6月8日は、まじょりの誕生日だったので朝からFBにいっぱい来ていたメッセージの返信を夕方からまじょりはせっせと書いていたの。

私はさのすけ兄ちゃんと二階で遊んでたんだけど、どうしたことか、首輪が緩んで下あごに引っかかってはずれなくなってしまったの。

それで暴れていたら、首輪の金具のところに奥歯が引っかかっていたらしく、
えいってやったら歯が抜けてしまったのよ!
痛いし首輪はそれでもまだ外れないし、困って階下に行って取ってもらおうと思ったの。

半開きの口から血が出てるのを見て、何が起きたか知ったまじょりが、
この首輪は引っ張られるとバックルが外れるはずなのに、って引っ張るから
またすごく痛くて、私、まじょりを引っ掻いて逃げちゃったの。
そしたら、「わかった、痛くしないから、はさみで切ってあげるからおいで」
って言うんで、大人しく抱っこしてもらって切ってもらったの。
そのあと二階の様子を見に行ったまじょりが抜けた歯を発見して、
これは大変!ってなって、化膿するといけないし、痛いとご飯が食べられないから、
お医者さんに行こう、って言ったの。

いつも行く近所のお医者さんは日曜日休みだけど、
車で20分くらいのところに毎日やってるお医者さんがあって、
日曜日は4時半までだけど、電話すれば何時でも急患は診てくれるんですって。
だから、初めて車に乗って出かけました。

車はちょっとどきどきしたけど、
トリオ・ロス・ファンダンゴスの新しいアルバムをかけてもらったから大丈夫だったわ。

きょうの宿直の先生は、若い女の人だったけど、
キャリーから出た私を見ての第一声は
「あら、かわいい、美人さんね」
この人、わかってるぅ(*^^)v

だから、暴れたり噛んだりしないで、口の中も見せてあげたら、
「おとなしいのね」ってまた褒められちゃった。ふふふ

歯が抜けたところも特に問題なさそうだし、
歯茎にベルトがこすれたところが今出血してるけど、すぐ止まるでしょう。
っていうことで、注射はしないで、痛み止め、止血剤、抗生剤の飲み薬をもらって帰りました。

おうちに着いてすぐ、液体の痛み止めを飲んだんだけど、
こぼさないで上手に飲んだのよ。
おなかがすいてたんだけど、痛み止めが効いてくるまで、ってしばらくご飯はお預け。
1時間くらいして、最初は軟らかいこはんがいいだろうってことで、
こういうときのためにストックしてある純缶カップをもらったんだけど、
これ、お兄ちゃんは好きだけど、わたしはいまいちなのよね。
ちょっとだけ食べてあとは残したら、いつものシーバをもらいました。
それから、懐石と懐石Zeppinももらって、そのあとシーバもおかわりしたのよ。
食べすぎ?うーん、でも、お兄ちゃんなんか、純缶カップ一人でほとんど食べて、
いつものカリカリももらってたから、いいんじゃない?

ごはんの合間に止血剤と抗生剤の錠剤を飲まされたんだけど、
1個目はよかったけど、2個目がちょっと難しかった。
これ、1日2回、4日間飲むのよね。。。

というわけで、歯が一本なくなっちゃったけど、
相変わらず私はかわいく元気にしています。
心配してくださった皆さん、ありがとう!
また、FBでお会いしましょう。

2014年6月4日水曜日

備えあれば

レーシックで近眼治療をしたのは5年前。
直後の視力は2.0。逆に老眼鏡が必要になったけど、
空の色が綺麗に見えたり、桜の花びら一枚一枚がくっきり見えて嬉しかったし、
何より災害の時に眼鏡の心配をしなくていいのが安心だ。

時とともにやはり視力は落ち、特に夫が病気になってからはいろいろあったし
暗いところで目を使ったり、、無理して小さい字も読んだりすることも増え、
最近、夜の運転中、遠くの標識がダブって読みにくいと思うことがあるようになった。

そこへ、免許の更新である。

たぶ~~~ん大丈夫、でも試験場まで行って、ダメでした、では困るので、
先手を打って近視用の眼鏡を作った。

今にして思えば、念のために作るのだから、そこらで安く作ってもよかったのだが、
そのテの眼鏡屋は信用していないので、
以前視力0.1の時にバイフォーカルを作った眼鏡店に行き、レンズを交換した。

そして今日、更新に行って来た。
うちから試験場までは車なら25分位だが、
途中の道が時に大渋滞になる恐れあり。
また試験場やそのすぐそばに駐車場があるわけでもないので
バス・電車・バスと乗り継いで行く。所要時間1時間。。。
受付は午後3時までなので、2時半より前に着こうと思うと、
乗り継ぎの都合でちょうどいいのがなく、2:10に着いてしまった。
 
書類受付をして、さて適性検査。
まず裸眼で臨み、ダメだったら眼鏡を出すつもりだったが、
あっさり合格。ちょっとがっかり、あ、いや、いいんだけど。
 
写真室のおねえさんは、一人5秒と決めているらしく、
「はい、申請書と免許証」
「バーコード入れてください、はい、取って」
「深く座ってください」
「こちらの丸を見てください」
「はい終わりです」
とどんどん撮っていくので、すぐ撮られない様に下を向いて一呼吸置いたのだが、
やっぱり指名手配写真のようになってしまった。(ーー;)

ここまでで2:30。講習室に行くと、
「講習は3:10から」
の掲示。
ああ、そうだった、ちょっとくらい早く来ても、どうせ最終セッションだから、
3時ぎりぎりにくればよかったんだった。
5年もたつと忘れている。
けど、5年たってもここらへんは全然変わってないことに、ちょっと感心する。
さすがに講習でOHPはもう使ってなかったけど、
この講習も、端末で各自のタイミングで受けることにしたって良いんじゃないかと思う。
講師の座学ならではの要素と言ったら、
最新データを口頭で伝達する以外には見当たらなかったし。
次のときはどうなっているのかな。

もしも、に備えて作った眼鏡、結局きょうは要らなかったけど、
夜の運転のために車に積んでおこう。

2014年5月27日火曜日

忙しい火曜日

火曜日は、隔週で14時半から訪問医が来る日で、
毎週16時半過ぎからは訪問入浴があり、
その間の時間で夫の昼食分の経管栄養と投薬、入浴の準備をする。

今日はさらに、今使っているのとは別の呼吸器の紹介のため、
15時からC社の人たちがやってきた。

今使っているバイパップは、音が静かで加湿器が一体となっていて使い勝手が良いのだが、
バッテリーが外付けのため、もし停電になった場合、人手がないと差し替えることができない
という課題がある。
同じ会社のバッテリー内臓タイプは音が大きく、加湿器の回路も複雑だったため、
採用にいたらなかったのだ。

今回紹介されたC社の機器は、音は静かで、さまざま微調整ができるのだが、
やはり加湿器が外付けで、たぶん、その分回路が長くなっているせいで
呼気吸気の切り替えのタイミングに不満が残り、
また加湿器のメンテナンスもいまより複雑になるので、やはり採用しないことになった。

とはいえ、夫は試した感想を、
「僕の呼吸の波形で言うと、○○のときにはねる感じがある」
とか
「つばをのみこんだりするときに、この部分で空気漏れを感じる」
とか、具体的に言葉で説明できるし、
さらに問題の原因は、機器のどういうところにあるかを自分なりに分析して
こうではないか、と言ったりしていたので、
C社の人たちにとっては、かなりいいフィードバックが得られたと思う。

それに気を良くしたのか、
セットで貸し出そうとしていたカフアシストに替わる機器も、
ぜひ試してご意見をお聞かせください、と言われたので、それも試した。

カフアシストがその名の通り肺の力のない人に咳をさせる発想で作られているのに対し、こちらの機器はゆっくり肺を広げて痰を引き出す、という発想のため、
これも夫のニーズには合わず借りないことにしたのだが、
こういう症状の人がどう感じるかについての情報は提供できたので、
C社の役には立っただろう。

今日集めた情報が、機器の改善につながって、
より多くの人がこうした機器の恩恵に浴すことができれば、私たちも嬉しい。


そんなこんなでみんなが帰ったのが16時。
大急ぎで、投薬・栄養、テーブルと椅子を動かして浴槽のスペース作り、
猫たちを寝室に隔離しタオル・着替え等の準備と、なんとか訪問入浴に間に合ったけど、
私のお昼はアミノバイタルゼリーのみ。
18時すぎにお風呂が終わって片付けて、
ささっとレトルトカレーを温めてがつがつと食べたのだった。

2014年5月14日水曜日

休日散歩

久しぶりに午後ゆっくり時間が取れるので美容院に行こうと思ったのに
担当者不在。。。
家で片付けるべき仕事は山ほどあるのだけど、ちょっと気持ちが内向しているので
やはり出かけることにして、まずは港の見える丘公園へ。

 

去年来た時はもうバラのシーズンが過ぎていたけど、
きょうはまだまだ花盛りでよい香りが公園に広がっていた。





母校の前を通ってかつての通学路を歩くと在校生とすれ違う。
ランドセルの上から副かばんを斜めがけにしている小学生たち。
私たちのころは副かばんは手提げ型で、背骨が曲がるからとショルダーは禁止だったのに。

この辺の町並みもずいぶん変わってしまった。
中途半端な(つまり、洋館でも日本家屋でもない)家がこれ以上増えないでもらいたいものだ。

代官坂を元町に向かって降りる。この道もなにやら新しい店が増えている。
卒業式に先輩に贈る花を買ったり、何かとお世話になった花屋さんは昔のまま。



ほっとしたのも束の間、元町に出ると正面に見慣れていた店が閉まっている。



隣のブティックの人に聞いたら、もう1年以上経つはず、という。
そのブティックも以前の店とは代わって、1年余り前に開いたのだそう。

ほかにもずいぶん店が変わったところもあるけれど、老舗はしっかりそこにあって、
ちょっと安心する。


休憩は、カフェでなく珈琲店で丁寧に淹れたドリップ珈琲を飲む。
いつも飲む目覚ましのコーヒーと違って、心がゆったりしてとても美味しかった。

また元気に歩き出して今度は中華街へ。
いつもと違う方向から入ったので、うろ覚えの地理がますます怪しくなるも、
目当てのお茶屋さんに無事到着。
丸く粒になったジャスミン茶を買おうとしたら、こっちの新茶がいいわよ、
と勧められ、ついそっちに。。。

食材店をいくつか冷やかして、以前夫と行ったワンタンの美味しい店を探す。
同じ辺りを3回回って見つからず、携帯で地図を検索して改めて探し、
やっとたどり着いたら、きょうは定休日。。。

さて、そうなると一人で入りやすい店は・・・と市場通りに回ってみると
「春の中華粥セット」が目に付いたのでそこにする。



この暑い日になんでこんな熱いものを、と思ったのは
どーんと熱い粥が出てきたあとだった。


(オマケ)
途中で見た変な看板


6月生まれ 去年と同じ って何?

2014年4月28日月曜日

ばね指とか腱鞘炎とか

右手に痛みを感じたのは、去年の10月下旬だったか。
朝、手首から甲にかけてこわばって、その痛みで目が覚めるということが何日が続いた。

そのころは、夫が自分の足で立つことが難しくなっていて、
ベッドから車椅子、車椅子から昇降機といった移動や入浴の際に
介助するこちらへの負担が日に日に増していた。

私が倒れてしまうわけにはいかないので、腰など痛めないよう、
夫に介助ベルトをつけ自分も腰ベルトをして、身体全体で支えるようにしていたけど、
やはり介助ベルトを握る手に負担がかかっていたことは確かだから、
おそらくそのせいだろうと想像はついていた。

起きて動いているうちにこわばりも取れてくる、という時期がすぎると、
今度は親指と中指に「ばね指」の症状が出てきた。
ネットで調べてみると、ばね指は腱鞘炎からくるので、
とにかく手を休めるしか治る道はないらしい。
さらに、更年期でも親指と中指にばね指が出やすい、とまで書かれると、
どうしようもないな、という気になる。

11月に入って、夫が毎日シャワーを浴びることをやめたので、
えいや、と介助する回数が減り、少しは良くなるかと思ったけれど、
清拭をするためにやはり手は使うので、「休める」からはほど遠く、
関節がカクカクするだけでなく、親指の付け根が痛んで力を入れられず、
ビンのふたを開ける、なにかをつまんでひねる、といった動作が難しくなっていった。

年が明けて、夫がベッド生活になり、力仕事の介助は少なくなったので
これで手も良くなると思ったけれど、腕のハリは確かに減ったものの
指関節の不具合は続いていた。
特に困ったのが、字を書くのが一番関節に痛みを感じて辛かったこと、
そして右手の親指を使わないと携帯のメールが書けないことだ。

薬局で手首から手の甲を覆うサポーターを買ってきて使ってみたが、
却って握る力が弱くなって危ないのと、親指の保護になっていない気がして、
さらに探してみて見つけたのが「かぐや姫」という代物。
 
 
 
赤ちゃんを抱っこして腱鞘炎になるお母さんのことを考えて作りました、
というので、ああ、これなら狙いどころは同じようなものだろう、
と考えてネットで購入したのが2月。
 
にわかに痛みが取れるとか、そういう改善はなかったけど、
これをはめていればなんとか字を書くことはできたし、
力がかかって「イテッ」となる前に支えてくれる安心感があった。
 
それでも、関節をカクカクいわせているグリグリしたものは、けっこう頑固で、
このまま固定化してしまうのではないか、とさえ思わせる感じだった。
 
4月に入って、友人でテーピングの名手と言われている人に久方ぶりに会う機会があったので診てもらった。この関節のグリグリの正体はよくわからないけど、腱鞘炎ならこのテーピングで痛みはとれるはず、という処置をしてもらった。そして、炎症なのだから、お風呂でマッサージはNG、などの注意を受け、やっぱりとにかく使わないようにすること、とも言われた。
 
テーピングは4日くらいではがれてきたのではずしたけれど、
その間は「はってある」ということが「動かさない」という意識につながって、
今までより極力使わないでいることができたと思う。
 
それと並行して、ここ数年かよっているカイロプラクターにも関連するストレッチを教えてもらって実行していたら、ここにきて症状はだいぶ改善してきた気がする。
少なくとも、「固定化する」ことはなく、「よくなるんだろうな」という感じになってきた。
 
しかしなにごとも治りがけが肝心。
痛みがすくなくなったぶん、ついつい動かしているのだけど、
完治するまでまだまだ休ませてやらなければ。
 
 
それにしても、
今やっている楽器がヴァイオリンだからなんとか痛い指でも弾くけれど、
これまでやっていたほかの楽器(ピアノとか筝とか三味線)だったらアウトだから、
さらに欲求不満が募っただろうな。
不幸中の幸い。