2015年12月31日木曜日

リズムとメロディー

去年の初め夫がベッド生活になってから、
毎朝手持ちの音楽CDを片端から聞いていたのだが
秋にはほぼ聞き終わり、今度は落語のCDを聞いている。
談志の「ひとり会」のボックス4箱をやっつけ、八代目文楽を聞き、今は圓生だ。

私たちが子どものころは落語は身近で、私は当時寄席には行かなかったけど
志ん生、三平、談志、円楽、円鏡、歌丸といった人たちの声が
しょっちゅうラジオやテレビから聞こえていた。
とはいえその頃はうまい、下手など全然分かっていなかったのは当然のこと。

今改めて30代の談志の芸を聞くと、そのレベルの高さに舌を巻く。
そして、彼が圓生をよく研究していたことにも気がついた。
幸い、生の談志は夫と一緒に何回か聴く機会があって、
「簡単には笑わないぞ」という客との緊張感がすごいこととか、
あの強気の言動が目立つ談志なのに、お辞儀が誰よりも深々と心のこもったものだということに強い印象を受けた。

談志、文楽、圓生と聞いてきて、同じ噺も入っているのだが、
それぞれがそれぞれに面白く、知っている噺なのにやっぱり笑ってしまう。

一昨日の晩、そんな同じ噺の一つをラジオ深夜便でやっていた。
演者は現代の噺家だったのだけど、これが、悪いけど全然面白くなかった。
なんというか、人物がそこにいるように立ち上がってこない。
確かに今の人にとって、長屋の暮らしぶりをリアリティをもって語るというのは至難の業だろうけれど、談志だって江戸時代の御武家さんの様子は見たことなんかなかっただろうし、彼がそれを語ることができたのは噺の技として受け継がれてきたものによったのだろうと思う。

そんな折、TBSでドラマ「赤めだか」が放送された。
「赤めだか」は談志の弟子の談春が修行時代を書いた同名の本が原作。
その中で、弟子になったばかりの談春のけいこで談志が
「リズムとメロディーなんだよ。これからは俺のリズムとメロディーでやれ」
と言うシーンがあった。

落語に「リズムとメロディー」とは独特の言い方だから、これは本当に談志が言った言葉だろう。
ああ、そういうことかと私には腑に落ちるものがあった。
「間合い」とか「息遣い」とかいうものと、たぶんそれは重なっているのだろうけれど、リズムとメロディーをきっちり写して演じることが、噺を身につけるということで、それが人を楽しませる噺になる。それを談志自身が学んできて、伝えようとしていたのだろう。このタイミングでこのドラマを見ることができてよかったと思った。

それにしても、落語からは歴史や日本語について学ぶことが多い。
時代が変わってやりにくくなる噺もあるけれど、良い噺は語り継いでいって欲しいものだ。


2015年12月24日木曜日

At Christmas

On Christmas Eve, I passed our local shopping center, and saw many people forming looooong queues to buy... Christmas cake.  Yes, in Japan we have "Christmas cake," which is an essential part of Christmas for most Japanese.

It was not until when I was over 40 that I realized that, for average Japanese, Christmas is the day to put up Christmas tree and eat chicken roast and Christmas cake, and that they don't give a damn at the fact that what they think are indispensable to celebrate Christmas are actually accessories and have little to do with the essence of Christmas. 
I had assumed that people were just taking advantage of capitalism and the age of plenty, knowing the true meaning of Christmas.  But, No, they just didn't care.

When they import seasonal events from foreign culture, Japanese people tend to pick out only the things they feel "nice" and often turn their eyes away from their essence.
Valentine's Day is the day for women to buy chocolates for men (or, nowadays, more expensive ones for themselves), and Halloween is the day to wear strange costumes on the street.

This habit of turning one's eyes away from the essence of the matter reminds me of the fact that our people have failed to look straight at our defeat in the war in 1945.  Have we not faced up with our past because it is our habit not to look at the essence of the matter, or we tend to pick out only the accessories of events because we haven't come to terms with the defeat just yet?  I don't know which is which, but I cannot help thinking that there is some connection.

In the Christmas Eve service that I attended today, they read Luke 2:1-21.
This part is always read at Christmas, and I almost remember the verses.  (well, if you have ever sung Messaiah, you learn it by heart)  The most impressive verse to me since my childhood is"because there was no room for them in the inn."  Christmas for me has been the time to be questioned of what I have done to "the smallest of these" rather than pure celebration. 

I just made small contribution to WFP and UNHCR, thinking of Middle Eastern families deprived of the right to leading peaceful life, hoping His favor rests on my action.

Merry Christmas!

2015年11月30日月曜日

点滴とか血糖値とか

11月も終わり。今月は早く過ぎた。
 というのも、初旬から中旬にかけて夫に感染症が出たりしていたから。

尿カテーテルを入れているとどうしても感染症にかかりやすいため
抗生剤は常備して、熱が出るとできるだけ先手を打つのだけど、
今回は敗血症になったりした前回ほどではひどくはなかったものの、
耐性菌が出てしまったので、点滴の調剤が前回とは異なり、
薬剤は冷蔵しなければいけないし、これが生理食塩水に溶けにくく、
しかしビンを振って混ぜると泡立ってしまうのでNG。
よくなじませた上で10分放置して溶解を待つ、というちょっと面倒なものになり、
2週間けっこう大変だった。点滴針が手に入っていると着替えにも気を使うし。

それに加えて、その時の血液検査で血糖値が高いことが判明。
感染があるときは血糖値は上がるものだが、それにしてもこの値は、ということに。
人間の身体が糖を一番使うのは筋肉なのだが、ALSは筋肉が減っていく病気なので
うまく糖をとりこめなくなっているのが一因。
それから、計算してみると摂取カロリーが過多になっているのも原因では、とのこと。

それはそうだ。
前回の感染の後、栄養強化するようにと言われて温泉たまごを入れたりしていたけど、
それをいつやめるのか、一向に血液検査もせずフォローしなかったのは誰だ。ブツブツ

カロリーを見直した上で、服薬とインスリン、
そしてインスリン投与とセットでの血糖値測定が始まってしまった。
毎朝、である。

自分のことならいいけれど、人の身体に針を刺すというのはイヤなものだ。
平気な人もいるかもしれないけど、それは私ではないし、これに慣れたくも、ない。
そのこと自体も気分の良いことではないが、むしろもっと不愉快なのは
こういう私の気持ちに対する医療関係者の無頓着さだ。

今回に限らず、なにかにつけて
病気だから仕方ない、家族だからやって当然、という基本姿勢。
それがこちら側からどうみえるか、あの人たちは考えたりしないのだろうか。

それはともかく、血糖値、早く落ち着いて欲しいものだ。

2015年11月17日火曜日

カンバタンゴがやってきた! A surprise visit.

(English text to follow.)

夫が所属していたオルケスタYOKOHAMAのメンバーで同じバンドネオン奏者の平田耕治君がブエノスアイレスで結成したユニット、カンバタンゴ。ギターのアリエルとルーカス、歌手のエバが来日して2年ぶりの日本ツアーが始まったところ。その忙しいスケジュールを縫って、エバを除く3人が夫のために演奏しに来宅してくれた。



前日の打診でうまくスケジュールが合ったのは本当に幸運。
アリエルが挨拶もそこそこにすぐギターを取り出し、
ソロでバッハとフォルクローレを。
その後3人息の合った演奏で、ワルツ、タンゴ、ミロンガ、チャマメまで!
夫は外出できないので、生演奏の出前はなによりありがたい。
そしてタンゴほど人を元気にする音楽はないから、本当に嬉しかった。

カンバタンゴとは初来日の際、横浜のミロンガで演奏できるよう夫がアレンジしたことがあり、彼らのバイラブレな演奏に、生演奏で踊るのに慣れていない人が多かったはずなのに、とても盛り上がって良いミロンガになったのだった。きょうの演奏も自然と身体が動き出してしまう、ビート感溢れる演奏だった。

平田君は「このくらいしかできなくて」と言うけれど、
彼だから、彼とその仲間だからできることをしてくれて感謝している。

出来上がったばかりの平田君のCDも購入。

 



ポピュラーな曲、珍しい曲、多重録音、
いろいろ工夫された良いアルバムになっている。

このあとのツアーの成功を祈りつつ。


We got a surprise visit by CAMBATANGO, a tango unit that our friend, Koji Hirata, formed in Buenos Aires.  The group is now in Japan, and Koji brought his two guitarists, Ariel and Lucas, to play for my husband.

Considering the fact that the group is playing everyday in various places in Japan during their tour, it was almost a miracle that we could work out our schedule on a short notice (one day before).

Ariel played some solo pieces before the group played their repartoire---tango, vals, milonga and chamame. 

One thing that caught my attention was the good balance of the sound between the bandoneon and the guitars.  I had an impression that bandoneon is always loud and it's hard to adjust the volume level with other instruments.  But this trio was keeping good balance throughout their playing.  It was most notable when the bandoneon and the guitar play unison or same movements in harmony.  It was so nice to be soaked in their sound.  CAMBATANGO is such a good ensemble.

Koji has just released a new CD.
We asked him to bring 10 copies so we can share it with our friends.
It turned out to be an excellent collection of well-known and less-known pieces.
Koji selected them based on his memories with the maestros he worked with over the years.

We wish both the group's tour and the CD to be successful.


2015年11月16日月曜日

"You're not you."

Just saw the movie, "You're not you." with Hillary Swank.
I went to see it just because it's about a woman with ALS.
Swank is not necessarily my favorite actress, and I didn't do much research before going.

As the title appeared on the screen, I was a little surprised,
because, unlike me, I hadn't checked the original title,
and didn't know it was so different from the Japanese title.

In Japan, foreign movies are often given Japanese titles when they go on screen.
Sometimes, they are same as the original, such as Star Wars and Back to the Future,
but often---especially when neither the original as it is nor literal translation works---
distributors create titles that may be more appealing to Japanese audience.

So, this one was titled
"In place of a good-bye."

In a way, it was misleading.
With this title, I had imagined that the movie was about the woman's life with ALS,
and what impact she leaves on her private caretaker.

But, no, that was not the focus, and it was so expressed in the original title.

"You're not you." was about 2 women who were hiding their true self,
and came to rediscover and reveal it through their friendship.

So, it appeared to me ALS was just a setting in this movie, which I didn't buy.

ALS is a disease that affects patients quite differently from person to person.
Maybe Swank was doing a good job in her role of a woman described in the original novel and the scrip, but her condition was totally different from my husband's, or any other patients I've ever seen.
I only hope that people wouldn't assume that ALS symptoms always develop like that.

Another thing that bothered me was a stereotypical way of depicting rich people as pretentious and nice on the surface but not very caring, while people who are not established are more down-to-earth.  I don't think the world is that simple.

I liked the movie,  "The Theory of Everything",about Stephen Hawking and his wife.
Compared to that, "You're not you." was a disappointment.



2015年10月7日水曜日

タマゴのチカラ 

ふと気が付けば、このブログも放置したまま9月が過ぎ、10月ももう1週間。
何かがあったのというより、むしろこれまでになく淡々と毎日が過ぎ、
書きたいことはあっても言葉が溢れてくるという感じがなく、
むしろ書く事が億劫になっていた。

日々淡々と過ごせていたのは夫の状態が割合安定しているからだ。
この3年半、目まぐるしく変化する状態に対応するため、
ルーティンというものが定まらないままに、しかしやることは沢山あり、
かつそれを妨げる条件はどんどん変化し新たな問題も発生し続けてきたのとは大違いだ。

ひとつには、口から食べるのをやめ、すべて胃ろうからの経管栄養と水分補給にしたことで、
誤嚥がなくなり、しつこい痰に苦しめられることがなくなった。
食べる楽しみがなくなってしまったのは残念だが、誤嚥から起こるトラブルの苦しさを考えると
やはりリスクを排除したほうがよいと思う。

そしてもうひとつの要因と思われるのが、卵。
6月の敗血症騒動後、アルブミン値を上げるためタンパク質を強化するようにとDr。に言われ、
それまで半固形の経管栄養剤をお湯でのばしていたのを牛乳に変え、
さらに毎日卵1個を追加した。

卵は温泉たまごにして胃瘻からシリンジで注入する。量にしてちょうど1本50mllというところ。
夫はこれまで1,300kcalを経管栄養で朝500g、昼夜各400g摂っていたのだが(容量では100g=90mlくらい)だんだんお腹がいっぱいになってしまうようになり、5月ころから1,200に減らしていた。もしかするとそれで抵抗力が落ちて敗血症になったのかもしれない。

経管栄養1,200+牛乳+卵に変えてから、頑張って1,300入れていた時より体調はずっと安定している。卵は完全栄養体と言われるし、昔は病人にしか食べさせなかったくらいだし、アミノ酸スコア100の食品だということは承知していたけれど、これほどはっきりとその力を感じたことはない。

私はコレステロール注意報出されて服薬しているくらいなので、卵は積極的には食べないのだけれど、朝、夫の温泉たまごがシリンジで吸いきれずに匙にほんの爪の先ほど残ったのをペロっと舐めるのだけど(もったいないから)、それだけで調子が良くなったくらいだ。

だから
なんとなく体調がすぐれない人、食が進まない人には卵をお勧めしたい。

温泉卵は、卵をどんぶりに入れてたっぷりのお湯を注ぎ
ラップをかけて置いておけば20~30分でできる。
室温によってお湯の冷め方が変わるし、卵の固まり方も好みがあると思うので、
ティー・コゼを被せるなどして調節すればよい。

2015年8月24日月曜日

洗濯機

土曜日の朝、起きてみるとタイマーセットしておいたはずの洗濯が終わってない。
見ていると、脱水まで来てるんだけどその先に進まない模様。
洗濯物を出して、脱水だけやろうとしてみても、やっぱりダメ。

うーん、これは排水管の詰まりか、はたまた洗濯機の排水口の不具合か。

実は前夜、洗面所で歯磨きしながら思ったことがあった。

洋服とか、ちょっとした日用品とか、壊れるまで使ったりしないで、
そこそこのところで買い換えるよねえ。
車だって、壊れるまで乗る人もいるかもしれないけど、
大抵はその前に買い換える。

だけど、エアコンとか冷蔵庫とか洗濯機とかは
「もう~、急に壊れちゃってさあ」という話をよく聞くし、
私だって壊れて修理できなければ買い換える、でやってきた。
けど、これらの家電こそ、壊れたら困るものだし、
特に洗濯機はいま、病人のために毎日使ってるから壊れると困るよなあ。

ああ、私の心の声を聞いてたのね、洗濯機ちゃん。

排水管にしても洗濯機にしても、人に来てもらえば出張費で8千円とか、
それに技術料だなんだで2万円くらいはかかって、かつ直らないかもしれない。
やっぱり買い替えか。
そういえば、給水部のパッキンもゆるくなって洗濯終了後すぐ出さないとまた濡れちゃってたり、
以前排水部から水漏れもあったしね。

ネットで見てみると、いつも利用している家電店で
「今から1時間42分以内に注文で本日中お届け」
とある商品がある。よし、この中から選ぼう!

大急ぎで知人が運営する○○ク.comのクチコミをチェック。
今までのは乾燥機もついていたけど、ほとんど使わないから今度はいらないけど、
欲しいサイズと色が一致しないなあ、今年モデルはぐんと値段が上がるんだ、
など悩んでいるうちに刻々と時間が過ぎる。
やっと決めて購入手続きを始めたら、
まだ時間があるはずなのに「明日お届け」と出る!
なぜ~~?
再確認しようとすると今度はiPadのwifiが調子悪い。
閉じていたPCを慌てて起動してやり直し。
やっぱり「明日お届け」と出るけど、構わずポチ!
30分以内に電話確認依頼を選択して、先方からの電話を待つ。

20分ほどでかかってきた電話で当日配達可を確認して一安心。
これが14時前で、実際の配達は20時だった。

いやはやばたばたしたけど、店舗に出向かないで商品情報を比較して購入し、
こんなに早く届けてもらえるんだから便利な世の中になったものだ。




2015年8月12日水曜日

御巣鷹山

あのJAL事故から30年。
私が今の英語ニュースの仕事を始めて、3ヶ月目に入ったころに起きた事故だった。

当日の19時ニュースには私は入っていなかったのだけれど、
確かJAL機の機影がレーダーから消えた、という一報を入れて終わったのだった。
その後は夜通し錯綜する情報にマスコミも翻弄され、
事故機の行方が杳として知れないまま朝を迎えた。

当時私は、平日は民放の昼ニュースも担当していた。
7分間のニュースを、ネイティブのアナウンサー兼リライターと
我々ニュースライター2人(うち1人は同時通訳も兼ねる、私はその役割)
そしてディレクター1人という、とんでもなく省エネな人員で作っていた。
原稿が来るのはいつもギリギリで、放送が始まるとき終わりの方の原稿はまだ作業中。
それを書くライター1人を残して、あとの3人はスタジオに入って放送を始め、
ライターは原稿が書けたら後から突っ込み、アナウンサーはそれを読みながら英語を直していた。

普段からそんなだから、間に合わない原稿が同時通訳になることも多かったが、
あの日はそれ以上に事態が現在進行形だったから、書けるものがほとんどない状況だった。
墜落現場がようやくわかったものの、地上からの救助隊がなかなかたどり着けず、
様子がわからない。

あれもこれもわかりません、の繰り返しになってしまうのか、
と思いながらスタジオに向かう直前、
他局の画面がヘリに引き上げられる川上慶子さんの姿を映し出した。

生存者がいた!

この一筋の明るいニュースがあったことは、
この時の厳しい同時通訳を乗り切るのになによりの力になったのを覚えている。

その日の19時ニュースは、専門家の解説なども交えて2時間の長丁場になった。
私はライターで入っていたので、2人の先輩たちが生中継や解説だけでなく
流動的で書いてあった原稿が使えなくなってしまう場面も含めてカバーしていくのを
感心して聞いていた。

今なら、専門用語や背景情報の確認がインターネットですぐできてしまうが、
(不確実な情報も山のように入ってくるという問題もあるが)
30年前は原稿打つのもタイプライターだったくらいで、
「圧力隔壁」など航空機に関する用語を確認するのに
What's What や Oxford Pictorial Dictionary などが活躍し、
様々な専門用語や背景知識を確認するために、専門家に電話したりした。

当時は写真週刊誌全盛で、新聞などが載せられない痛ましい現場の写真を掲載するなど物議をかもしていた。私たちも、被害にあった方たちやその家族の心に配慮した表現の工夫など時間をかけて議論し日々報道に当たったのも、大切な経験だった。、
本当に、この事故のニュースを通じて多くのことを学んだ。

毎年この日が来ると、当時の緊張感が蘇ってくる。
改めて犠牲者の方々とご家族、そして搜索や捜査だけでなくさまざまな形で御巣鷹に関わった人たちに平安あれ、と祈りたい。

御巣鷹山へは Googleストリートビュー で行くことができる。
たまたまグーグルに入社したご遺族の一人が、会社に提案して実現したものと聞く。


2015年8月1日土曜日

熱中症注意

8月1日。
亡くなった父の誕生日である。今年はもう、おめでとうを言う相手がいないのだと
改めて思うけど、まあ、今までもちゃんと祝っていたわけではないので
偉そうなことは言えない。

32年前、同じく6月に同じく86歳で亡くなった祖父(父の父)も
8月1日が誕生日だったのだが、
葬儀の時、お棺に入れてくれと祖母が出してきた祖父のへその緒の箱を、
母がひょいと裏返して吃驚、誕生日は6月6日だったか、9日だったか、
とにかく8月1日ではない日付が書いてあった。
(私も見せてもらったけれど、びっくりしているうちにお棺に収められ
焼いてしまったから、正確な日付は雲の上である。)
なるほど、祖父は獅子座というよりはふたご座だったな、と思って、
ちょっと親近感を強くしたのだった。

それはともかく。

父の七七忌をすませるとともに梅雨も明け、一気に暑さが増してから、
なんとなく体調がすぐれずにいた。
朝起きてから夕方くらいまで、背中や脚がなんとなく痛み、動くのが億劫、
食も進まず、かといって風邪の症状があるわけでもなく、
とりあえず痛み止めと栄養ドリンクを飲み、仕事に行くとだんだん元気になり、
夜は気分も良くなるのだけど、翌朝はまた腰や背中が痛む。

数日それが続き、ふと熱を測ってみたら、37.3度あった。
私の平熱は35.8度くらいである。夏とはいえ高すぎだ。

「風邪なんか引かないぞ」

とツイートしてみたりしたものの、なにか違う気もしていた。
熱が37.6度まで上がった日も家事をしてどっと汗をかいたら36.6度まで下がり、
夕方仕事をしながら、ひさしぶりに買ったスポーツドリンクを2本飲み干したら、
身体のモヤモヤ感が取れてきた気がしたところで、はたと気づいた。

もしかして、熱中症?

私は夜中に2度くらいは目を覚ますのだが、
目が覚めたらうがいをしてついでに水を一口含むようにしているのだけど、
寝ている間に脱水しているとすれば、ただの水を飲むのはかえって良くなかったのかも?
それで朝は熱が上がっていたのかも?

そこで水やお茶が中心だった水分補給をスポーツドリンク中心に変え、
夜中目が覚めた時もスポーツドリンクを飲むようにし、
「塩分足りないなあ」と思いつつも手が伸びずにいた梅干を意識して食べるように変えたら、
3日ほどでそれまでの不調が解消した。

昨日、かかりつけ医にこの話をしたら、

「お年寄りだったら死んでたわよ」

と言われた。
やっぱり。これが室内でなる熱中症というやつか。

立秋に向かって、一昨日くらいから風が変わった気がするけど、
まだしばらくは「猛暑」らしいので、みんな、気を付けようね。

2015年6月27日土曜日

敗血症とか感染性ショックとか

6月13日、父の通夜から戻ると、留守を頼んでいたナースが
夫が熱があるようなので、抗生剤を始めておいたほうが良いと思う、
ドクターには報告しておくので、と言う。

夫は尿道カテーテルを使用しているため、時たま感染で発熱することがあり、
抗生剤は常備しているので、さっそくそれを夕食後の薬に加えた。
その後熱が38.9度まで上がったので解熱剤も投入して寝む。

翌14日、大汗かいて熱は下がり、尿量が少なかったりしたのも夕方までに改善し、
もう大丈夫だろうと思いつつ、その間4回着替えたものをせっせと洗濯。
夜はシーツも替えて、今夜は気持ちよく寝られるといいね、と話していた。

ところが私が寝ようとした午前3時、夫は寒気がすると言い出し、
布団を掛けたりしたものの、心配なのでソファで横になった。
朝までたびたび、水分補給やら、酸素を測ったりやらしていて、寝られたのは1.5時間ほど。

15日朝になっても熱が下がらず、酸素飽和度も下がっていたので、
呼吸器に酸素を流してみたが、思ったように上がってこないので、Dr.に往診を依頼。
尿に白血球が出ていたり、脇腹が張って痛みがあるので、
腎盂腎炎を起こしている可能性もあるとのことで、
通常3回に分けて服用する抗生剤を一括投与し、尿の培養検査をすることに。

その後、熱は下がったものの、腕から手の甲に汗をかいていること、
尿がミルクティーのように濁っていることという、今まで見たことのない所見があったので、
夫は大丈夫と言っていたけれど、寝不足でもあるし、仕事は休むことにした。

午後、訪問看護師が来たので2階で横になったら2時間寝てしまったていた。
降りてみると、感染性ショックが心配なので、先生を呼んでいます、と言う。
酸素飽和度と血圧がかなり下がっていたらしい。
改めて往診の結果は、敗血症の疑い。点滴の抗生剤を投与して、これが効けば、という。

効かなかったら、危ないのか?

本人は大丈夫だよ~、と言っているし、私も楽観的ではあったのだけれど、
一応妹だけには連絡してみたら、様子を見に来てくれた。

夜、経過を診にDr.が来る。やはり血圧が低く、ショック状態で、救急で運ぶ状態だと言う。
うちでは何があっても病院には行かない、と決めているし、
そのことは在宅療養に関わるスタッフ全員で共有しているはずなのに、
なぜまた、病院を持ち出すんだろう、とちょっとイラっと来る。

クリニックで手持ちの薬剤に限りがあるとか、いろいろ都合もあるんだろうけれど、
今が治療を急ぐ時なら、わかりきったことをまた聞かないでほしい、と思う。

血圧をモニターしながら、昇圧剤を少しずつ注射、さらにステロイド剤点滴でなんとか持ち直し、
昇圧剤の継続点滴をセットして、Dr.が引き上げたのが深夜0:30だった。
夫の様子を気にしながら、またソファで仮眠。

16日朝8時にDr.来訪。
抗生剤の点滴をし、血圧が上がっていて、尿も出ているので、快方に向かっているとのこと。
11時に同じクリニックの若先生が来るということなので、10時まで自分のベッドで休む。
若先生が来た時は、血圧も100以上になっていたので、ストップしていた内服薬や栄養を再開し、昇圧剤の点滴も普通のリンゲル液に替えて・・・としたところで、血圧急降下!
点滴に入っていた昇圧剤は、ダイレクトに作用するタイプのものだったので、
回復していたのは、それに頼ってのことだったのが判明。

これは身体の脱水がまだ続いている状態なので、急速輸液が必要。
点滴を全開にするも、これでは遅すぎる!と、
点滴液をシリンジにとってシリンジから押し込む策に出る、若先生の好判断で70台まで回復。

この日は訪問入浴だったけれど、お風呂は無理なので清拭をしてもらい、
その間血圧はなんとか70台をキープして終わり、
夜8時にDr.が来てくれたときは、80台後半まで戻っていた。
一応落ち着いて来たので、夜は2階で寝ることにしたのだけど、
朝8時には点滴を付け替えなければならず、起きられるのか不安。。

17日、点滴は続けているものの、全体的には落ち着いてきたようなので、
午後訪問看護が入ったところで、今度はさのすけを動物病院に連れて行く。
便秘である。このところのストレスが、さのすけにも伝染したのか?
うちの近所には2軒動物病院があるのだか、どちらも私が行ける午後の早い時間は休みのため、車で20分ほどの別の病院に行く。寝不足で運転は辛いが、しかたがない。
一旦帰って、夕方マッサージの人が来たところで、買い物と食事に出る。
うちには手首式の血圧計しかなかったので、上腕式の血圧計を買ってきて、ちょっと安心。

18日、だいたい復調、のはずが、今度は痰が取れなくて酸素飽和度が77とか出るし、
血圧が150台に跳ね上がるしで、カフアシストしたり、スクィージング、タッピングと、
点滴が繋がってる中でやるもんだから、もう大変。
もともと、血圧は高めで薬を飲んでいたのだけれど、
今回のことで中断していたところ、体調の回復とともにまた上昇傾向になったのでは、
ということで、血圧の薬を再開。
できるだけのことはして、どうしても取れないところはDr.とナースに任せて、
この日は仕事に行った。

帰ってきたら、すっきりしていたみたいで、それはよかったのだけど、
ナース達が使ったものが出しっぱなし、開けっ放しがいくつもあって、がっかり。
さらに、今頃になって点滴についての注意書きがテーブルの上に置いてある。
こういうものは3日目じゃなくて初日にいただければもっと有益だったでしょうね。
寝不足とイライラも極限である。

19日、感染症を起こしていた菌が特定され、抗生剤が変更に。
これまでのとは薬剤の合わせ方も変わって、ちょっと神経を使う。
この頃になると、輸液によるむくみが問題になってきたので、今度は利尿剤を使うことに。
体力の回復の為に栄養価を上げるため、通常の経管栄養に牛乳や卵などの追加を考える。


そんなこんなで、きょう27日現在、抗生剤の点滴は続け(あすまで)、
栄養強化は継続、投薬は最低限必要なものだけ再開、という対処で、
血圧は薬を使わず平常値、酸素飽和度、脈はまあまあ、というところ。

今回のエピソードが始まってからずっと声が出にくくなっていたのだけれど、
たぶん、それは脱水のせいだったようで、24日くらいからまた出るようになってきて、
おおよそ、以前の生活が戻ってきている。
ALSという病気はそれ自体「よくなる」ということがない病気だけれど、
それに伴って起きてくるトラブルは多々あり、その都度解決法を探しながらやってきたけれど、
今回はかなりシビアだった中で「よくなる」というシーンを見られて良かったと思う。

まあ、なにごともなく、淡々と、というのが本当は望ましいのだけれど。





2015年6月17日水曜日

Birthday 2015

(English text below.)

近年誕生日は、誕生日が近いタンゴ友Tちゃん夫妻といっしょに
ポルトガル料理なぞ食べに出かけて祝っていた。
夫が外出できなくなってからは、タンゴ仲間と家で餃子会をしているのだが、
今年は、Tちゃんが出産後間もない、ということもあったが、
それ以上に、なんとなくその気になれなかったので、
格別に行事は計画していなかった。

それはなにかの、「虫の知らせ」ってやつだったのか。

誕生日の早朝、妹から電話。
父が心停止となり、近所の病院に運んで処置中、と言う。

瞬間、思考停止状態になり、
きょうはナースが来るのが14時半だから、それまで出られないと思う、
また連絡する、と言って電話を切る。

階下に降りて夫に話すと、今、行ってくれば、と言う。
時計を見ると7時、普段夫の朝のルーティンは10時ころからだから、
夫がいつもどおり寝て待っていてくれれば、行ってくる時間はある。
幸い夫の体調はよかったので、出かけることにし、
妹に「今から支度して向かう」とメール。
そこらに出ていた服を身に着け、BBクリームだけ塗って家を出た。

車を出すときに妹からメール。

ダメだった

そうか。

カーオーディオから流れてきたのが、谷本仰 Solo Dialogues なのがありがたい。

病院に着き、処置を待つ間妹と話す。
どうも週末から体調を崩していたようで、痛み止めのせいでふらつくと言って、
妹の助けを借りて朝トイレに行き、妹が待ち構えていた車椅子に座ったとたん、
様子がおかしくなり、妹は心マッサージをしながら救急車を呼び、搬送したのだそうだ。
もともと心臓弁にトラブルを抱えていたところに、肺炎を起こし、力尽きたのだろう。

結局蘇生することはなかったけれど、
たぶん、一番びっくりしたのは本人だったのではないだろうか。
霊安室で会った父は、「あれ?来てたの」とうたた寝から起きそうな顔をしていた。

とりあえず、父を家に連れて帰らなければいけないのだが、
病院では、葬儀社を紹介することもできるし、
処置室から霊安室への移動を担当する葬儀社は、月ごとに交代で、
きょう入っている業者に頼んでも構わない、
もちろんもう決まっている場合はそちらに頼んでもらっても良い、という話だった。

妹と、去年母の葬儀をしてもらったH殿でいいよね、と話したのだが、
妹のスマホにH殿の電話番号の登録が、ない。

霊安室で待っていた、「今月担当の葬儀社」の人にこちらの意向を聞かれ、
H殿にお願いしようかと思ってるんですが、と言うと

「あ、そこに入ってるのがうちです!I橋です!」

スマホをいじる妹。。。 あ、あった、I橋で入れてたんだ。。。

来ていた人は別の支店の人だったので、連絡をとってもらい、
去年担当してくれた、I橋ではダントツだという女性が、
今回も担当してくれることになり、先週の土日で、無事葬儀をすませることができた。

母が亡くなった時は、妹から「危ない」と連絡をもらったのは、
火曜日午後の夫の訪問入浴の真っ最中で、
その後の時間帯も誰も入らない日だったから、病院に行くのは諦めたのだが、
姪のひとりが駆けつけるまでもたせたので、亡くなったのは夜になってからだった。
それならそこだけ、行けばよかった、と後悔したし、
その後も実家に行ったのは湯灌も済ませて、母の顔も作ってしまったあとになり、
私は一体何をやっているんだ、と、思った。

夫の病気のこともあり、親の死に目にはあえないだろうとは思っていたし、
実際、父のときも間に合わなかったのだけれど、
少なくとも今回は、人並みに知らせをもらって駆けつけ、
葬儀までの間も、実家で過ごす時間を持つことができたから、
気持ちは随分楽だった。

父は先週、母の遺したものの後始末を終えたところだった。
自分が逝ったあとのことまでは手がまわらなかったものの、
区切りをつけ、ほっとして逝ったのだろうと思う。
自分の父(私の祖父)も、同じ歳で亡くなったのが32年前の5日前だったことも、
意識のどこかにあったのかもしれない。

私は、性格ー特に欠点ーが父に似ているために、父が苦手で、
たぶん向こうもそうだったと思う。
だから、私たちは決して親密ではなかった。
それでも亡くなってみると、思い出すのは父の立派だったところ、
自分があれこれ楽しむことよりも、人助けを喜んでいたことなど、
長所と言えるところだ。
今年は戦後70年と言われるたびに、
父があまり話そうとしなかった戦争中のことを、一度聞いておきたいと思っていたのだが
それは叶わなかったのがひとつ、心残りだけれど、
いまは、先に逝った母に、
「え~?もう来たの?」
と邪険にされていなければいい、と思うのだ。

My father somehow chose my birthday last week to die.
Maybe it's for me to remember the day. (In Japan, the day of death is more important to remember than one's birthday.)

He had heart problems for many years. He suffered pneumonia over the weekend, and apparently his heart gave in just after my sister took him to bathroom in the morning.

I was never close to my father, largely because I inherited his shortcomings, and I hate to find them everytime I saw him.

In order not to disrupt my husband's daily routine, I only attended the vigil and missed the funeral ceremony.  Still, I could spend more qualify time with my family over last week than when my mother passed away last October.

My father just finished dividing what my mother left among us, so he must have felt relieved as he went to her side even though he didn't finish taking care of what he was going to leave behind.  We only hope that my mother is not too surprised at his joining her so soon.

2015年5月27日水曜日

二人羽織

夫は病気で手が不自由になってからは、
手のひら大のトラックボールを足で操ってパソコンを使っていた。
去年それも難しくなりベッド生活になってからは、
スペック・スイッチを足に一個ずつ付けて右クリック、左クリック、
そしてテーブルに取り付けたジョイスティック・マウスのスティック部分にストローをはめて延長し
これを顎で操作する、という「顎足マウス」方式で、PCを自分で使ってきた。

  とはいえPCをセットしてしまうと日中ナースやヘルパーの作業の邪魔になるし、
  セッティングがなかなか微妙で、私以外の人には難しいということもあり、
  PCを使うのは夜寝る直前から、朝目覚めてから私が起きてくるまでの
  限られた時間しか使うことはできなくなっていた。

これもいずれ使えなくなることを考えて視線入力ソフト導入の準備をしているのだが、
そのためにPCも新しくしなければいけなかったりで、まだそこにいたらないうちに、
顎足方式が使いにくくなってきたこのごろ。

それでもDrや友人とのメールのやり取り、SNSの投稿など最低限のことは続けていきたいので、夫のテーブルに置いたPCを私が後ろから操作する二人羽織方式をやってみた。しかし、こちらの立ち位置が難しいし、液晶画面を夫に合わせるとこちらは見えないし、なかなか思うに任せない。

そこでリビングのTVにディスプレイを映し出し、夫にそれを見てもらって、
私が本体で操作する、というのをやってみたのだが、
TVは夫から斜め方向に有り、画像は見られても文字を読むのは難しい。

それではとワイヤレスキーボードを入手し、
去年顎足マウスに到達する前に試しに購入したワイヤレスマウスと組み合わせ、
本体は夫の正面に置き、私がTV画面を見てワイヤレス機器で操作する、
という方式で、なんとか最低限の作業はこなせるようになった。

ほかにも雑誌記事等はスクロールすれば読める状態にセットして、
矢印のところにポインタを置き、足に左クリックのスイッチを付けて
自分でスクロールして読む、というのもできている。

パソコン操作を専門にしていた夫からすれば、なんとも歯がゆいし、
コメントなどの書き込みをする余裕もなく、ストレスが多いことだろうと思う。

準備中の視線入力が早く上手く使えるようになって、
また夫が生き生きと外の世界とコミュニケーション取れるようになるとよいのだが。

2015年4月27日月曜日

療養生活を支えるもの(4)スイッチボックス

夫は元気な時から比較的痰が多く出る方で、呼吸が弱くなるにつれて、
それを処理することが徐々に難しくなってきた。

仕事に行っているときは、スクリュートップの缶コーヒーの空き缶を携帯し
それを痰壷がわりにしたりしていた。

自宅療養に入る時に吸引器を購入。(1台目は公的補助あり)
始めは自分でスイッチを操作して使っていたが、手の力が衰えてきて
スイッチを押すのが難しくなり、フットスイッチ付きのものを新たに自費で購入。
日中椅子に座って過ごしていたときは、マイクスタンドの先に、
マイクの代わりに吸引用の「レディケア」という芯入のチューブを装着し、
口元にいつもスタンバイさせておいて、必要な時に足でスイッチを押していた。

その後足の力も弱くなってこのフットスイッチも使えなくなり、
ベッド生活に入ってからは、吸引が必要な時は人に頼まなければならず、
誰も近くにいない時に痰を誤嚥する心配があり、実際随分苦しい思いをすることもあった。

いま夫は足先はまだ少し動かせるので、
軽い力で押せる「スペックスイッチ」というのを足につけて
パソコンのマウスのクリックに使っているのだが、
同じようなスイッチで吸引器のON/OFFができればいいのだが、
そういう軽いスイッチではそこまでのパワーはない。

多少電気の心得のある夫は、「リレーを作ればいいと思うのだけど」と言っていたけれど、
いかんせん手が動かないので自分では作れないし、私などにはさっぱりわからない。
ところが先日、古い友人がそれを実現してくれた。

この人は電気や音響の仕事をしている人で、夫はその趣味を通じて知り合ったのだが、
後に、別の場所で知り合った友人の義兄にあたる、ということがわかったというご縁。
先月、その別の友人の方から、「義兄がなにか手伝えるのでは」という申し出があり、
久しぶりに連絡を取ってこちらの希望を伝えたところ、
あれよあれよという間に立派なスイッチボックスを作ってくれたのだ。



 
ウラ・オモテ



この写真の手前にあるのが「スペックスイッチ」というやつだ。
50g以下の力でON/OFFができる。




こういう障害者支援機器というのは通常、市の支援センターが対応してくれて、
うちでもパソコンに足で操作するトラックボールをつなぐ仕組みとか、
その後今も使っている、顎と足でマウスを操作する仕組みとか、作ってもらったのだが、
この人たちはとにかく仕事が遅い。
アポとって来るまで2週間、作成まで2週間、
できたものを試して、しかし実際に渡すものは改めて新品で作るから・・・
などとやっているうちにどんどん時間が過ぎてしまい、
進行性の病人をなんと思っているのかといつもいらいらさせられた。

今回作業してくれた友人は、脳梗塞やら癌やらの既往症があり、
今も手が震えるなど自身が不自由な身体なのに、
最初に連絡をとってから納品まで3週間、
打ち合わせに来宅してから2週間でやってくれたのだ。
感謝である。

おかげで夫はまた、自分が必要な時に自分で吸引器を作動させることができるようになり、
夫のストレスも、介護側の負担も減り、助かっている。

痰の吸引は、ALS患者に限らず様々な在宅療養者と介護者の課題になっていると聞く。
一人ひとり状況は違うものなので、ほかの人のことはわからないけれど、
もしかするとこの装置が助けになる人もあるかもしれない。
今回作ってもらったスイッチボックスの回路は公開して構わないと友人も言ってくれており、
それがあれば、おそらく工業高校の生徒さんでも制作できるだろうということなので、
関心のある方はコメントでお問い合わせくださればと思う。

2015年4月7日火曜日

Happy Birthday!

Last Saturday was my husband's birthday.
As it fell on the Good Saturday, we waited until the Easter Sunday to celebrate.
Our tango (and Gyoza) friends came over, to eat, drink, talk and laugh.
Making Gyoza together is now a staple when we gather.
We make dumplings together, and Gyoza Maestro cooks them.
How lucky we are to have him in our circles!
 
   
A new feature of the party this time was a violin duo of me and T.
I have been working on Bach's doppel concerto in my lessons for the past few months,
and I wanted to have my husband hear me in a duo, so I asked T to help.
I rarely have a chance to play the violin in front of anyone, so I was very nervous and my heart was pounding like never before.  But it was fun!  And we managed to play better than ever.  My husband had apparently been waiting for our play to fall apart, but , sorry!, we betrayed him.

We also had A who is a ballerina show off her skills with point shoes.
Amazingly, she told us her feet don't hurt because she is standing with her stomache and side muscles.  Wow!  It was really a special treat to see real ballet up so close.


For us, surviving to this birthday alone was special, and being able to celebrate it with close friends made us very happy.  Thank you friends!

先週の土曜日、夫が誕生日を迎えた。
聖土曜日と重なったので、お祝いはイースターの日曜日にいつものタンゴの仲間と
餃子パーティーをすることに。

  

餃子はみんなにお任せ、うちではデパートの「大九州展」でゲットした辛子蓮根や、
鶏めしの具材で炊いたご飯、サラダなどを供し、あとは唐揚げやチーズやワインや、
みんなそれぞれ食べたいものを持ち寄って、美味しく楽しく、音楽談義に花を咲かせた。

今回は、最近レッスンしていたバッハのドッペルを夫への誕生日プレゼントにしたいと思い、
Tちゃんにお願いしてduoを決行。一回の合わせでどこまで合わせられるか不安だったけど、なんとかいい感じに合わせられて、心臓バクバクしながら、
でもアンサンブル楽しい!という幸せな時間を過ごすことができた。

もう一つ、バレリーナのAちゃんにお願いして、
トウシューズで踊るところを見せてもらった。

  

M氏のiPodでてきとーに選んだ曲で即興で踊ってくれたのだが、
見事な足さばき、バランス感覚、体の伸びで、素晴らしかった。
驚いたことに、 腹筋や脇の筋肉で立っているから、
トウシューズで立っていても足は痛くないのだそうだ。へええ

 こないだFBに上がっていた英語の広告で、傷だらけのつま先とトウシューズの写真に
 「~~のためなら苦労は惜しまない」みたいなキャプション付いたのがあったけど
 あれはウソなんだな。。。

外出できない夫に、生の音楽と生のダンスを楽しんでもらえて、よい誕生日になった。
みんな忙しい中、ありがとうね。

2015年3月31日火曜日

退職

夫が今日付で退職した。
勤続34年、といってもこの2年半は休職だったけれど。

ALSと診断されたのが3年前の3月半ば。
私は、仕事なんかさっさとやめて旅行とか動けるうちに楽しめばいい、と思った。
しかし夫は、できる限り職場に通い、仕事を続けることを選んだ。

始めのうちはそれまで同様、自分で朝食の用意をして、
家の前の坂を上るだけで息を切らしながらも、なんとかバス・電車を使って通った。
6月に胃瘻の建造など自宅療養の準備のために入院したあとは、
朝は私が車で職場に送り、帰りは私が迎えに行けない時はタクシーを使っていた。
手の力が弱くなっていくために、毎週のようにかばんを軽いものに換えていったり、
一人で帰ってきて家の前で転んで立てなくなったこともあったっけ。

職場では色々と助けて頂いての半年だった。通院や入院のために休む日もあったし、
次第に身体が不自由になっていくのに合わせて車椅子を使わせてもらったり、
診療所で経管栄養の対応をしてもらったり、時短勤務の便宜を図ってもらったりした。

がんなど、診断された途端に「もう使えない奴」と決めつけられてしまう職場もあると聞く中、
とるべき対応をきちんとしてくれる職場と上司、同僚に恵まれたことに感謝である。

書類に判をつくのが難しくなった10月末、休職に入ったあとも、
職場の方たちがメールで連絡を取るだけでなく、度々訪問してくださり、
仕事の様子や同僚の近況など共有していたので
休みに入った途端にぷっつり途切れてしまう様な思いをしないで済んだと思う。

きょうは部長と課長が退職辞令を持って来宅。
そしてこんなのも。

 


こちらからは身分証明書と徽章を返却し、夫は正式に退職した。

私はずっと「フリーランス」という名の「日雇い季節労働者」をやっているので、
組織で勤め上げるのがどんなものか想像するしかない。
休職中と今日を境に明日からと、夫の中で何かが変わるのかはわからない。

夫が病気の診断を受けたのは、課長に昇進する直前だったから、
病気がなければ、責任ある立場でもっと貢献できただろうし、
体が不自由になってもアタマはしっかりしているのに、
この人を使えないのは社会にとっても損失だと思う。
そう考えると病気になって仕事が続けられないのは残念なことだけれど、
ひたすら残念なだけかというと、それも違う気がする。
こうなったから見えること、わかること、できることも、やはりあると思うのだ。

普通に定年退職したのなら、きょうはどこかでお疲れ様ディナーでもしていただろうか。
そういうことはできないけれど、夫にはありがとう、お疲れ様、と言おう。

オマケ(セルフィーで自分の顔が見えるのが嫌でイカ耳になってる)
  


2015年3月18日水曜日

4年目

この3月16日で、夫がALSの告知を受けてからまる3年。
療養生活も4年目に入った。

去年ここにも書いてからの1年は、
その前の2年間に比べるとずっと穏やかに過ぎたと言える。
ベッド生活になったから、外出や室内の移動があったときより無理が少なく、
その分穏やかになったわけだが、
その中でもやはり身体を支える力は落ちてきているし、
嚥下もかなり慎重にしないと危なくなっている。
呼吸器を外していられる時間は1~2分、というところまで呼吸機能は落ちている。
痰が上がってきて処理できなくなることが多くなり、
一人でいるときはちょっと心配なこともある。

とはいえ、顎でジョイスティック・マウス、足でクリック・スイッチを操作してPCを使う、
という方法はまだ使えているし、呼吸器を付けていれば会話もできるし、
そういう形でコミュニケーションは維持されている。
普通に会話できるがために、相手が病人であることを忘れてしまうくらいだ。(汗)


そんな今日、アカデミー賞主演男優賞をとった
博士と彼女のセオリー」を見てきた。
夫と同じ病気の患者であるホーキング博士夫妻の話なので見に行ったわけだが、
まず思ったのは、やはり同じ当事者だと、こういうものは見え方が全然違う、ということだ。

これまでにも、認知症とか白血病とか、事故で障がいを持った人とか、
いろいろな人が主人公の映画やドラマを見たことがあるけれど、
自分や身近な人が同じ経験をしていない設定のものを見ていた時は、
しょせん想像の域を出ていなかったな、と改めて思ったのだ。

診断を告知される時の心の動き
不自由ながらも動けている間の必死さと危うさ
重い車椅子を担ぎ上げてくれる友人の頼もしさ

その時の思いや感情の昂ぶりが蘇ってきて、涙が溢れた。
それはやっぱり、自分が体験していないストーリーに共感するのとは違うものだった。

中でも、ああ、これは、と思ったのは、
自分がケアするのがベストではあるけれど、
精一杯やってもやはり一人で全部はやりきれないという現実の前にジェーンが涙するシーン。

私も、「とにかく私が倒れるわけにはいかない」「風邪ひとつ引くことも許されない」
というプレッシャーの中で慢性的な寝不足でここまできて、
とうとう先週末から風邪を引き(花粉症だと思ったらやっぱり風邪だった)、
この3年間で体調が最悪というところだったので、
このシーンは特に心が共鳴してしまった。

発症からの平均余命が3~5年といわれる中、
既に50年生きているホーキング博士についてはALSではないのでは、との声もあるが、
病気の進み方発現の仕方が一人ひとり違うこともこの病気の特徴。
呼吸が担保されれば寿命を全うするのは珍しいことではないそうだから、
博士も生かされて有用な研究を人類にまだまだ与え続けてくれるだろう。

「命がある限り、希望があります」
という博士の言葉を力に、また明日へと歩を進めることにしよう。

2015年2月18日水曜日

雨中の横浜散歩 Visiting two exhibitions

(English entry below)

先日神奈川新聞で知った、開港資料館の展示「ガールズ・ビー・アンビシャス」。
我が母校を含む、横浜・山手の5つのミッションスクールが取り上げられているので
見に行くことにした。

横浜市営バスの1日乗車券(600円)はICカードでも購入することができるので、
きょうは極力バスを使うことにして、最寄りバス停乗車時に購入。

横浜駅西口から東口に回り、別のバスに乗り換え、日本大通りへ。

横浜開港資料館は、ペリー来航の頃からある「たまくすの木」のある中庭で有名だが、
展示をちゃんと見に来たことはなかったかもしれない。
常設展示で開港の歴史をおさらいしてから、企画展へ。

考えてみれば、自分の学校以外4校の卒業生も何人も身近にいて、
それらの学校を開いた宣教師の名前なども馴染みがあり、
各校の○○年誌なども目に触れてきたので、
そういう意味では新しい発見は少なかったのだけど、
あの時代に海を越えて日本にやってきた修道女や女性宣教師たちの勇気を思うと
感謝の思いが湧いてくる。

  ひとつの発見は、横浜本牧教会の早苗幼稚園はもともと横浜英和の幼稚園だった、という話。
  へえ、知らなかった。

Lunchan Avenueで一休みしてから、バスで桜木町駅へ。
乗り換えて 横浜美術館に向かう。
天気が良ければ歩く距離だけど、雨だしちょうど乗り継げるバスがあったので、バス。

閉館40分前入場でホイッスラー展を見る。

  


ホイッスラーのことはあまり知らなかったけれど、
緻密な作風と色の深さに魅力を感じた。

ここでの発見は、アメリカ・ワシントンDCのフリーア美術館にある
ピーコック・ルームがホイッスラーの作だった、ということだ。
依頼主の長期不在中に依頼を無視して金とピーコック・グリーンの内装を施し、
その結果二人はその後一度も会うことがなかったとのこと。
しかし依頼主は、その部屋を変えることなく使い続け、
後に持ち主となったフリーアが所蔵コレクションとともにスミソニアンに寄贈し、
フリーア美術館の一角を占めることになったのだそう。
30余年前、フリーアを訪れたとき真っ先に見たのがこの部屋だったけど、
そんな裏話は知らなかった。

 
気に入った二枚の絵画のうち一枚は絵葉書になっていたので購入。
ピーコックの箱の中身は豆菓子。

 

みなとみらいから横浜駅に直接行くバスは日中3本くらいしかないので、
天気が良ければここも歩くところだけれど、きょうのところはみなとみらい線のお世話になり、
横浜からはまたバスに乗って帰宅。
寒い日でも心は暖かい午後になった。

Visited two exhibitions in Yokohama this afternoon.
First one dealt with the beginning of 5 Chrisitian mission schools in Yokohama.
I graduated from one of them, and I know women who graduated from the other 4 schools,so the exhibition was rather personal.

One thing that I discovered from the exhibit was the kindergarten associated with Yokohama Honmoku Church was originally the kidergarten of Yokohama Eiwa Girls' School.
Honmoku Church is a brother church of my church, and my church is closely related to Yokohama Eiwa.  So, it was an interesting dicovery.

The other exhibition I went was Whistler Retrospective at Yokohama Museum of Art.
I didn't know much about Whistler, though I recognize some paintings.
One surprising discovery here was that the Peacock Room at Freer Gallery of Art in DC was the work of Whistler.  The Peacock Room was one of the first places I visited while I lived in Maryland, and I remember visiting the gorgeous room.  Back then, some 35 years ago, I didn't know that Whistler berayed his client, and decorated the room with gold and peacock green.  Fortunately, the clinet kept the room as it was till it was later owned by Freer who donated it to Smithsonian along with his collection. 
Art always has a lot of story to tell, doesn't it?

2015年2月13日金曜日

猫・ねこ写真展

横浜山手のArt Gallery山手で今日から開催の
「第6回 猫・ねこ写真展」に行ってきた。


  
猫をテーマに複数の写真家達の作品を小さなギャラリーで一望する、
なかなか興味深い展覧会だ。



お目当てはををつかこと大塚義孝さんの作品。
今年は玄界灘の島に暮らす猫たちを題材に、生き生きしたカットが出展されていた。

ををつかさんとは、ネコ写真ではなく、猫シッターが縁で知り合いになった。

以前、このブログでも書いたように 
我が家では留守中の猫の世話をめぐってトラブルを経験したあと、
元祖キャットシッター、南里秀子さんのことを雑誌で知り、
南里さんが育てた人を近隣で見つけて、お願いするようになった。

そのシッターさんのブログに登場したのが、生まれてまもなく拾われた、
ををつか家のおはぎちゃんだったのだ。
その時既に二匹の猫と暮らしていたををつか夫妻は、
おはぎちゃんの里親を募集しており、
うちに来るシッターさんの営業範囲からしてうちからそう遠くないはずなので、
(実際車ならすぐ行ける距離だった)
友人に里親の件を問合わせてみようか、と思って
ををつかさんのブログを見始めた。

結局おはぎちゃんはそのままををつか家のコになったのだが、
ブログのコメントを通じて交流が始まり、猫・ねこ写真展にお邪魔したり、
別の猫を保護された時に、うちにあった保温シートを持って行ったこともあった。

ををつかさんは、忙しいサラリーマン生活の貴重な休みの日に、
始発電車で出かけて、無人駅や島の猫たちを撮影している。
「ここにこんなコがいるよ!」
と呼びかけているような写真からは、
猫自体の愛らしさだけでなく、その暮らしている環境や暮らしぶり、
人生ならぬ「猫生」が見えてくる気がして、私はとても気に入っている。

去年は東京でも展覧会の機会があったををつかさん。
今年はさらに多くの人にその写真を見てもらえると嬉しい。

今回の猫・ねこ写真展は2月22日まで開催。

  




2015年2月9日月曜日

知らなんだ Je ne savais pas.

(English to follow.)

クルマで移動中、もうすぐスペイン語講座が始まるからとNHK第二をつけたら
フランス語講座をやっていた。私が辛うじてそこまでは勉強した複合過去がテーマ。
練習問題をやってみたけど、先にスペイン語が出てしまい、
5問中4問目になってやっとスムーズに答えられる始末。ああ、忘れてるなあ。

そのあと講師の先生が「先ほどJ'aime la France という表現がありましたが・・・」
と次のような説明をした。

私はフランスが好きです J'aime la France.  
を強調して「大好きです」としたければ beaucoup や bien を付けて
J'aime la France beauscoup. J'aime la France bien. で良い。

同じaimerという動詞を使って、
英語の I love you. に当たる Je t'aime.
という表現があるが、これに beaucoup や bien を付けると
強調にはならずに、却ってその度合いを薄める意味になってしまう
ので注意が必要、とのこと。

ええっ?そうなの?

「とても愛しています」と、言ったつもりが、「いい人ね」になってしまうなんて。。。
知らなんだ。
フランス語で愛を語ろうとしているそこのアナタ、気をつけてね。

I was going to write about a different subject today,
but I just heard something that surprised me on my car radio, so I'll write about it.

It came during a French language lesson program that I happened to hear on my car radio.(I took some French in high school and college though most of it is gone now.)
They talked about the verb 'aimer'=to love and adverb to emphasize it 'beaucoup'=very much and 'bien'=well.

When you want to say, "I love France very much.", you can say, "J'aime la France beaucoup."or "J'aime la France bien." 

Now, you may know that in Franch, you say, "Je t'aime." to say, "I love you."
And you might want to say, "I love you very much." but you shouldn't say, "Je t'aime beaucoup." because, the teacher said, it would WEAKEN, rather than emphasize, the meaning of "aimer"!
You may end up saying, "you are very nice" when you think you are saying "I love you very much."  So be careful, if you're talking love in French.