2016年1月27日水曜日

Terracotta Warriors 兵馬俑を見に

 "Terracotta Warriors and Horses" of the first Emperor of China, Qin Shi Huang, were first discovered in 1974, and the excavation work is still under way.  More than 8,000 life-size sculptures are estimated to be buried in 3 huge pits.  There have been many TV reports and special programs made on the burial art as the excavation progressed over these years, which made me feel like seeing them one day even though I'm not a great fan of Chinese history.
The opportunity has now come around as Tokyo National Museum is now holding an exhibition, The Great Terracotta Army of the First Emperor of China.
There were 9 real terracotta warriors accompanied by many replicas, and each one was awsome.  The scale of the army only shows how powerful the first Emperor was.  Still, the empire collapsed only 3 years after the Emperor's death.  It only suggests that what we believe as "power" is not actually so lasting.


秦の始皇帝の陵墓の近くで兵馬俑が発見されたのが1974年。当時は本当にびっくりしたものだけど、以来発掘が進むごとにニュースに取り上げられ、特別番組も組まれていたので、「兵馬俑」と言われても「ああ、あれね」というくらいよく知られたものになっている。

昨秋から東京国立博物館で「始皇帝と大兵馬俑」展が開かれていると聞いても、特に気にしていなかったのだけど、年明けくらいになって「そういえば直接見たことはないよね、見てみたいな」と思うようになった。

寒さもちょっと緩んだ今日、久しぶりの上野へ。
公園口を降りると正面に文化会館、という景色は変わっていなくてホッとする。
  (すぐ横のカップルが「あれ、公園口なのに公園じゃないじゃん!」と言っている。
   いや、あの、上野公園というのはこのお山全体だからね。。。)


会場は奥の平成館


展示は秦王朝の軌跡、始皇帝の実像、始皇帝が夢見た「永遠の世界」、の三部構成。
お目当ての兵馬俑は第三部だけど、第一部の「秦王朝の軌跡」が興味深かった。
小国だった秦が戦国時代を経て統一国家を築いていく中で、異なる民族の異なる文化を秦の一部にしていく様子が、発掘された道具類からわかるのだ。
長い中国の歴史の中で、こうした営みが繰り返され、芸術や文化も練り上げられてきたのだなあ、と思うと、地続きで他の民族とのぶつかり合いをほとんど経験せずに来た日本との違いをつくづく感じるのだ。

さて、兵馬俑。
本物は9体。多くのレプリカと馬車2台のレプリカも来ていて、なかなか迫力のあるものだった。
一体一体顔も違う、とは聞いていたけれど、本当の軍隊同様、様々な階級、役割の人がいて、(雑技師までいるのだ!)それぞれの装束、髪型、持ち道具、靴の紐まで細かく再現されていて、いったいどれほどの権力がこんな仕事を可能にするのだろうと思わせるスケールだ。なにせ、8000体以上というのだから。
 
展示の終わりにある撮影コーナーはこんな感じ。



しかし、これほどの秦の帝国も、始皇帝が死んで3年で崩壊したのだという。
人間が頼みにする「力」とはしょせんそんなものなのだ。

2016年1月12日火曜日

寒中お見舞い申し上げます

父の喪中でもあり、正月はヘルパーなども来ない日が珍しく2日続き、
ひさしぶりに穏やかな時間を過ごした。

寒中となってもまだ寒さもさほどではなかった昨日の休日、
東京の寺に出かけた。
ここには夫の祖父の墓があるのだが、両親も私たちもクリスチャンなので、
義母が亡くなる前、永代供養の手続きはしてあるから心配ない、と言われており、
私たちも数回墓参したきり、夫が病気になってからは訪ねていなかった。

その寺の前の道路の拡幅工事が行われるにあたり、寺の本堂を建て替え、
敷地のレイアウトを変更して墓地もリニューアルする、というお知らせが来ていて、
ああ、そうなのか、とそのままにしていたら、暮れにまた手紙が来て、
うちのお墓のお骨は共同墓に移したい、という。
私たちの後もお墓をみつづけることはできないから、そうするとしても、
一度墓参して寺にも挨拶をしなければ、と思いつつも、
暮れは夫もまた感染症で点滴をしていたり、来客が続いたりして、
年末年始は寺も忙しいだろうから、と正月明けてから連絡することにしていた。

先週電話して、共同墓にするのは構わない旨を告げ、
夫が病気なので私が代わりに墓参とご挨拶に伺います、と話して昨日出かけたのだった。

墓参に行くと言ったって、うちには線香もないから
(先週来た妹に実家にあるのを分けてもらっておけばよかった)
線香とチャッカマン、花を買って、ハサミも雑布にくるんで用意。
手土産とともに携えて寺に向かった。

敷地の周辺には防護壁が建てられ、墓地の入口には
「敷地には入れませんので、この中の手桶に用意した水をお使いください」
の張り紙。
中に入ると確かに用意されているので、それを一つとって、
記憶を頼りに墓を探すと・・・ない。あれれ、こっちじゃなかったっけ?
と迷っていると、墓地の戸が開いて住職のお連れ合いと思しき女性が現れた。

「お約束した○○○です。暗くなる前に先に墓参りしようと思って・・・」
「ああ、工事の都合があるのでもう移しました。」
「え?そうなんですか?」
「ええ、仮本堂の方でお骨はお預かりしていますから、どうぞお線香を」

言われるままに仮本堂に行き、焼香して、住職としばらく話して辞去したのだけど、
きちんと区切りをつけた、という気分にはなれなかった。

確かにこちらもいろいろあって連絡が遅くなったりしたし、
お寺にはお寺の都合もあるだろうけど、
手紙にはいついつまでに返答が欲しいとか書いてなかったし、
電話した時も、返事があったからすぐ移すとも、もう移したとも言ってなかったし、
だいたい、私は「最後にお参りして、ご住職にご挨拶を」と言ったのだし。
いろいろ準備して行ったのに、肩すかしというのは、
なんとなく行き場のない思いが残る訪問になってしまった。

ちゃんと掃除してお花と線香をあげたお墓の写真撮って夫に見せたかった
というのもあるけど、「もの」であるお骨やお墓をどうしたかはあまり大事ではなくて
人の気持ちが関わるやりとりは、もうちょっと言葉を省かないでいて欲しかったと思うのだ。