2018年2月18日日曜日

そのとき

2月10日 夫が召天した。

ALSの人が突然の呼吸困難に襲われ、、、というのは聞いていたから
この病気になってからというもの、いつ「そのとき」が来てもおかしくない
と思う反面、特に去年は秋口くらいまでは落ち着いていたから
このまま頑張っていれば、そのうち治療法も見つかる、くらいに思っていて、
正直ちょっと油断していた。

先月末から発熱や痛みなど炎症を示す症状が出ていて
抗生剤や解熱剤を使ってある程度コントロールができていたのだけど
3日前に私がインフルエンザになってしまい、
高熱ではないもののきめ細かく気配りしてやることができずにいたら、
朝、冷たくなっていた。

え、うそ、やだ、と名前を呼ぶと
もうしっかりと神様の腕に抱かれて私の手の届かないところから
「ダメじゃん」
と声がした。

そうだね、肝心のところで失敗したね。ごめんね。

前の晩、いらないといったけど解熱剤を入れていれば。
朝方様子を見たとき、眠っているのを起こさないようにとそのままにせず
身体に触れて体温測ったり、吸引の調子を確認しておけば。
その後また目が覚めたとき、なんか呼ばれたような気がしたのに起き上がれず、
ぐずぐずしていなければ。

いくつも思い浮かぶことはあって、その一つでもやり直すことができたなら、
と思ったりもしたけれど、
人の命のことをどうにか出来たと思うのは傲慢なのだ。

「わたし、失敗しないので」の大門美知子じゃないけど、
私は自分が失敗しないように気をつけている人で、
それは能力が高いとかそういうことではなく、
自分の力量の範囲しか手を出さないことで失敗する状況を避けてきたのだけど、
それじゃあやっぱり失敗はするのだ、と。
そんなダメな自分として、カッコつけないで生きなさいよ、と言われたようで、
悲しみや寂しさより、「がっかり」に支配されて数日間過ごした。

16日前夜式、17日告別式のスケジュールが決まり、
ここは失敗しないようにがんばろう、と心に決め、
夫と約束していたことを実現し、話し合っていなかったことは熟慮して計画した。

前夜式で思い出を語ってもらう方には、
夫の子供時代をよく知っている牧師さんと
オルケスタYOKOHAMA前身のSiete de Oro タンゴ楽団時代の話を
当時のメンバーで音楽評論家の斎藤充正さんに(強引に)お願い。

トリオ・ロス・ファンダンゴスの谷本さんに牧師として関わってもらえたら、
と密かに以前から思っていたので問い合わせてみると、
不思議と17日がぽっかりとスケジュールが空いていて
「行きます!」と即答してくれた。
オルケスタYOKOHAMA出身のバンドネオン奏者、平田耕治くんも
「来られたら一曲弾いてくれる?」と聞いたら
「行けます。一曲大丈夫です」との返事。
おかげでとても、とてもよい葬送になった。

神様、すごいな。

葬儀当日は、ほぼ思い通りにことが運んでいることになんだか顔がほころんでしまって、
みんなが沈痛な中で私がにやにやしているわけにもいかず、ちょっと困った。

夫が休職してから5年半、退職してからも3年たっているのに、
両日とも県の職員の方が大勢参列してくださった。
この人たちみんなの中にも、夫は生きているのだと思うと嬉しかった。

いつ「そのとき」が来てもおかしくない、という緊張から解放された上に、
具体的にやらなければならないことが一気になくなってしまい、
毎日入れ代わり立ち代わり他人が家に入ってくることもなくなり、
急に静かで、穏やかで、暇な時間が過ぎている。

明日は医療機器と介護機器が撤収されるので
新たな暮らしのリズムをゆるゆると作りつつ
諸々の手続きに取り掛かろうと思う。