2018年5月31日木曜日

Early Summer Break Day 1 「つゆ休み」(?)1日目

(日本語は下に)

The anniversaries of my father's and my mother-in-law's death fall in early part of June, so I took some days at this time off to visit their grave as well as to have some time to do things outside my routine.

Today was Day One.
First, I visited an exhibition of "Masterpieces of French Landscape Paintings from the Pushkin State Museum of Fine Arts, Moscow"  held at Tokyo Metropolitan Art Museum in Ueno.  There was moderate size of crowd, and atmosphere was nice to enjoy the works.  I'm now reading a novel about Mary Cassatt and Edgar Degas in which Monet and other artists of the time appear.  So it was interesting to get the touch of Paris in those years from the exhibition.

I had lunch at a restaurant inside the train station before heading for Nippori where textile wholesalers are gathered.  I was looking for some coarse cloth to replace the front cover of stereo speakers, but in vain.

Another short ride on a train took me to Ginza, where I visited my favorite Italian cafe, picked up some greeting cards at a Christian store, and checked some music scores before coming home.

For someone who usually drives to most places, I walked A LOT today.
(photos in Japanese section)

6月初旬は義母や父の命日があるし、相続手続きなどでまた時間が必要になることを見込んで休みを取っているので、きょうからしばらく仕事は休み。夏休みには早い、つゆ休み?

きょうはまず、東京都美術館で開催中のプーシキン美術館展へ。
風景がいかにして絵画の題材となってきたか、移動手段やポータブルな画材の発展とともにその地平が広がっていった歴史をたどるという展示は面白かったけれど、水谷豊の音声ガイドがちょっと冗長だったのと、こういう展示ではよく中程にある、映像展示がなく、座って一息入れるきっかけが難しかった。(水谷豊は、右京さんのノリで、「あともうひとつだけ」「細かいことが・・・」の決まりセリフも入っていた。。。)
お買い物はこんな感じ。

 

小腹がすいたので、上野駅ナカの三代目たいめいけんで「たいめいけんランチ」。


山手線で日暮里へ。日暮里駅、初めて降りたけど、上野より南の駅とは違い昭和感が残っていて、ちょっとホッとする。でも、バリアフリー度の低さは問題なんだろうな。

日暮里に行ったのは、夫のステレオのスピーカーカバーを猫がめちゃめちゃにしてしまったのを張り替える布を探すため。だったのだが、不発。麻(たぶん)のざっくりした生地で、似たようなのはあったけど色がなく。一般的にサランネットと呼ばれてるのはスムースな感じでちょっと違うんだよね。どうしようかなあ。。。

また山手線に乗って有楽町から銀座へ。お気に入りのDel Sole で一休み。
 

ここのマッキアート・ドッピオは本当に美味しい。

伊東屋、教文館を回ってアメリカの友人に送る note cards を探し、山野楽器では、ヴァイオリンの肩当ての替えゴムを買い、今度職場のオケでやる曲のスコアをチェック。銀座もいろいろ新しいビルやお店ができているけど、結局行くところはいつも同じ。でも、それが代え難い満足感を残してくれる。

帰りがけ、丁度正時になってマリオンの仕掛け時計が動き出したので、お上りさんよろしく動画を撮ってみたりして(動画はアップできず)、きょうのお出かけはおしまい。


2018年5月8日火曜日

本物に触れる

ふと気づけば、身体の真ん中に抱えていた空洞の存在感が薄くなっていた。

4月のタンゴ・オリジェーロに行ったとき、無意識にレッスンの予定を聞いていたり、
その2日後には、少し前にキャンペーンの折り込みチラシが入っていたスポーツジムに入会の申し込みをしていたり。
格別積極的になろうとか、新しいことを始めようという意識もなく、ぽっかり空いた時間と心の隙間を何かで埋めようというつもりもない。相変わらず毎日面白くないしやる気もないのだけど、私の気分だとか、面白いかどうかなど世の中にとってはどうでもいいことで、それなら自分にとってもどうでもいいことだということにしてしまえばいいのだ、とりあえずちゃんと生きていればそれでいいではないか、という気分で、ただ、「また」と「今度」はないものと心して後悔しないことにしようと。

もしなにかが、抱えていた空洞を埋めたとしたら何なのだろう、と考えてみた。
それは多分、本物のアーツの力ではないか、と思い当たった。

職場オケのつてで聞いたN響の響き、ビュールレ・コレクションプラド美術館展で見た美しい絵画、オリジェーロでのケン・リリ師匠、そしてToki&Midori のデモ。本物に直に触れることが、知らず知らず生きる力を与えてくれていたのではないか。 若手タンゴ・ダンサーによるTANGO EL VIENTOのショー、そしてラ・フォルジュルネに行く頃には、この思いは確信になっていた。

Fine Arts にしろ Performing Arts にしろ、それが人を生かすものだと耳にしてきたし、だからこそ本物は何世紀にもわたって生き続けているのだけれど、これほどその意味を実感したことはなかったかもしれない。すっかり拝金主義になってしまった日本の社会だけど、大切にすべきことを見誤らず、ないがしろにしてしまわないようにしないといけないと思うのだ。

2018年5月3日木曜日

La Folle Journée TOKYO 2018

(日本語は下にあります)
La Folle Journée TOKYO in an annual music event in which various short (45min.) concerts take place in multiple halls all day for 3 days so people can pick and enjoy different types of music in a single day.  I managed to hear one concert by Richard Galliano last year.  This year, with more free time at hand, I decided to spend a holiday there, and bought 3 tickets in advance:  violin and piano, i  Musici, and Richard Galliano.  There was a 3-hour interval after i Musici and I was going to take a break, visiting some free events.  But having heard violin and i Musici, I felt like hearing some wind instruments, so bought a ticket for Royal Northern Sinfonia (Lars Vogt conducting) to hear Haydn and Prokofiev symphonies. Galliano was giving an autograph session after his concert, so I bought his CD and lined up to get one on it.   Pity I can't show it to my husband any more. 
All the concerts were very good: professional and  beautiful.   I was reminded of the importance of practice.  On the train to come home, I was reading a novel about Mary Cassatt and Edgar Degas, and came across a section in which Degas was saying his paintings don't come spontaneously but they are results of hard work.  How appropriate it is to read this section today!
(photos in the Japanese section)

去年はリシャール・ガリアーノのコンサート一つ聞くので精一杯だった、ラ・フォルジュルネ。今年は時間があるので、三つコンサートのチケットを買っておいた。
ふた月も前にチケット買ったので、ガリアーノは覚えていたけど、あと2枚、何を買ったのかすっかり忘れている始末。買った頃はまだ、頭がぼーっとしていたしね。



ひとつ目はヴァイオリンとピアノ、プロコフィエフとラベルのソナタ。
アレクサンドラ・コヌノヴァ、マタン・ポラト、どちらも初めて聞いたけど、曲の理解の深さを感じさせるよい演奏だった。
ふたつ目はイ・ムジチ。以前聞いたのはもう10年くらい前か。だいぶメンバーも変わって、でも音色と息の合い方はやはり素晴らしい。アンコール2曲目で「夏」を疾走。イ・ムジチと言えば四季だから、だからこそその度に圧倒的でなければならず、そのプレッシャーを楽しむかのような演奏が身体に染みとおってきて満足だった。
 

ここで3時間のインターバルを入れて、無料コンサートや売店を冷やかすつもりだったのだけど、弦を聞いてなんだか管も聞きたくなったので、時間が合ってチケットがまだあれば、と売場に行ってみると、ロイヤル・ノーザン・シンフォニアのコンサートがまだあったので列に並ぶ。開演時間が迫ってきてちょっと心配したけれど、このチケットだけ買う人は?と係りの人が前に呼んでくれたので、無事買うことができた。
このオーケストラのことは知らなかったけれど、ゲイツヘッドを拠点とするイギリス唯一の常設の室内オーケストラだそう。ハイドンとそれに倣ってプロコフィエフが書いた交響曲のプログラムだったのだが、ハイドンが鳴り始めたとき、行ったこともないイギリスに郷愁を感じさせる温もりのある音色だった。

ガリアーノのコンサートが始まった途端、ひとつしまったと思ったことがあった。
アコーディオン一本で広い会場なのでPAが入る、ということをすっかり忘れ、スピーカーに近いところに席を取ってしまっていたのだ。(尤も売り切れ間近だったから、そうそう選択肢があったわけでもないのだが。)ほかのコンサートが基本生音なので、失念していたので。出だし、けっこう音量上がっていたのでまいったなあ、と思ったのだけど、その後調節したのと、私としては聞こえのよくない右耳側にスピーカーだったので、じき気にならなくなった。曲目は自作にドビュッシーやルグラン、グラナドスなど。余裕があって隙がない、円熟の演奏だった。終演後、サイン会にも参加。購入したCDにサインをもらって握手もしてもらった。このひとはたぶん英語もスペイン語もイケるんだろうけど、ステージでアンコール紹介のときフランス語だったので、サインをしてもらうときに ”ici, s'il vous plait." と言ったら、”Vous parlez français." と返され、うっかり "Sí, un poco." と答えそうになり、二拍遅れてやっとのことで "seulement un peu." と言ったのだった。(^_^;)



それにしても、どの演奏者もこの裏には膨大な練習があるのだろうなあという弾きぶりで、やっぱり練習は大事だよなあ、と反省しつつ帰路の電車内で開いた本(といってもKindleだけど)で、ちょうどDegasがMary Cassattに、自分の作品は何もせず降ってきたりするものではなく、努力の賜物だと語っている箇所だったのは、あまりにもタイムリーで苦笑してしまった。